列王記上3:10-15 ローマ8:28-30 マタイによる福音書13:31-33
日本のクリスチャン人口が1パーセントからなかなか増えない、というお話は皆さんも耳にしたことがあると思います。少ないがゆえに不便や苦労の多い私たちですが、イスラエルにおいてイエス様が教え始めたその最初は、キリスト教徒は一人もいませんでした。当たり前ですね。イエス様の周りは皆ユダヤ教徒だったのです。
そんなイエス様の一番弟子となったのはガリラヤの漁師ペトロでした。ルカ福音書によれば、ペトロが夜通し漁をしていても一匹もとれず、落胆をしているところにイエス様が現れ、群衆に話を聞かせたいからと、お願いされ、しかたなく船を出します。お話が終わって船に岸に戻そうとしたら今度は「沖に漕ぎ出して漁をしなさい」と言われるのです。
ペトロが渋々「お言葉ですから」と言う通りにしたところ、たくさんの魚が捕れました。あまりのことに恐怖すら感じたペトロは、思わず「わたしから離れてください」と言ってひれ伏すのです。
一番弟子のペトロでさえ、初めの内はまるでイエス様に対する信仰がなかったのです。ペトロだけでなく、人間の心にはイエス様を信じ受け入れる下地が全くないのです。ただイエス様がお招きになったことで変化するのです。このような過程を経て、イエス様の弟子集団は形成されていきました。
その業は初めのうち、どこに繋がっていくのかわからないような孤独な働きでした。しかし、イエス様と弟子たちは、誤解や恐れしかない人々の間でも宣教を続けます。
やがて3年が過ぎる頃には、イスラエルの中でもイエス様を支持する人々が増えていきました。すると今度はイエス様が望まない間違った期待をする人も増えていきます。王様となってローマと戦い、イスラエルの自治を取り戻してくれるのはこの方だ、という期待をかけられるようになったのです。それは一般民衆だけでなく、最初から付き従ってきた弟子たちでさえ、そのように思うようになていました。
こうなると、権力を持った人々からは当然敵視されるようになり、最後には国家の反逆者として十字架にかかられたのです。イエス様という方は、どこまで行っても、誰からも正しく理解されることのない、孤独な歩みを続けられたようにも思えます。
ですが、イエス様は、こうした神の業をからしだね に例えられました。その種は、地面に落ちた時、土に紛れて見えなくなります。虚しく死んだように思えるもしれません。しかしイエス様は「成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」と言われました。それは後になって弟子たちにも理解できるようになったのです。
十字架で命を落としたイエス様が復活された時、弟子たちは初めて出会った時のように、「わたしは罪深いものです。わたしから離れてください」と言ったことでしょう。なんと言っても彼らは十字架に架けられたイエス様を見捨て、命惜しさに逃げ出したのですから。
しかしイエス様は初めから彼らに怒りなど覚えておられませんでした。ご自分が彼らの弱さを含めて丸ごと受け入れていることを改めてお示しになり、新たな宣教へと押し出されたのです。これが、弟子たちの心に落ちた小さなからし種が芽吹いた瞬間でした。
この「からしだね」はどの植物を指しているのか、諸説あるのですが、今回は「ガリラヤ湖周辺で普通に見られるアブラナ科の草」という説をとって週報の表紙に載せました。特に黒ガラシと呼ばれる種類は3000年ほど前からタネを香辛料として利用するために地中海沿岸で栽培されていたようですが、植物としての見た目は雑草のような素朴さです。
私たちが、この植物の種を手のひらに乗せていても、発芽などしません。それはどうしても畑の中に埋められなければならないのです。からし種は、畑の中に入って根を出し芽を出し、殻を破ってどんどん形を変えていきます。素朴な雑草のような植物であっても、神の御心に叶ったとき、樹木のように大きく成長するのです。
ただ、ここで勘違いしてはならないのは「からしだね が大きく成長するように、あなた方も偉大な伝道者になるよう努力しなさい」ということではありません。もちろん神の言葉を語り伝える過程で、あなた自身も忍耐強くなり、柔和な人となることでしょう。しかしそこが目的ではないのです。大きく成長するのはあなたではなく神の言葉です。あなたという人を介して、神の言葉が大きく広がっていくことをこそ、神様は望んでおられるのです。
神様が望んでおられるのは、神の言葉を宣べ伝えることの大切さを信じて、素朴にコツコツと努力を重ねる人々なのです。
私たちの集うこの小さな教会も、私たちを介して続けられる小さな働きが神の国への一歩であることを信じるならば、その道は、神の国へと通じていくのです。この場所が神の言葉によって成長していくために必要なのは立派な経営者でも、言葉巧みな指導者でもありません。ただひたすらに神の国が実現することを望む、小さな志があれば良いのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿