2019年9月17日火曜日

私を見つけて下さる神(日曜礼拝のお話の要約)

聖霊降臨後第14主日礼拝(緑) (2019年9月15日)
出エジプト32:7-14 Ⅰテモテ 1:12-17 ルカ15:1-10


 今日の福音書でイエス様が語ってくださる「見失った羊」も「失くした銀貨」も、さらにはそれに続く「放蕩息子」のたとえ話も、「見つけてくださる神」という思いを込めて、イエス様は語っておられます。イエス様がここで三つの例えを通しておっしゃりたい事は「神様はあなたを見つけてくださる方である」ということなのです。

 著者のルカという人物はユダヤ人でもなければイスラエルに住んでいたわけでもありません。ユダヤ人宣教者パウロが地中海沿岸で伝道活動をしていたとき出会い、「異邦人クリスチャン」となった人です。そして「見出された異邦人」として聖書の教えを説き明かす人となりました。
 ユダヤ人は誰でも旧約聖書の知識があり、イエス様の御言葉の深い意味を理解しやすい立場にありましたが、異邦人はなかなかそうはいきません。しかし、そのような人々でもイエス様が神の子・救い主であることや、神様が私たちをどれほど愛しているかということを、できるだけわかりやすく理解できるように、ルカは自分の福音書に工夫を凝らしたのです。
 ルカは、イエス様の言われた「あなたを見つける」というテーマに関して、百匹の羊の群れから迷い出た一匹の羊の話だけでなく、失われた一枚の銀貨を見つかるまで探す女の人の話、そして、有名な放蕩息子の話へと、これならわかるか、これならピンと来るか、とたたみかけていくのです。

 羊にしろ、お金にしろ、人間にしろ、誰がこれほどまで熱心に探し、誰がこれほどまでに喜んでいるのかと言うと、その持ち主なのです。見つけられた側ではなく、持ち主、つまり神様がこれほどまでに喜ぶことを、ルカは伝えたかったのです。神様がイエス様を遣わしてくださり、必死で探してくださった結果として、あなたはここにいるのだよ、と強く強く伝えたかったのです。

 ところで、イエス様がなぜこの例え話をされた時の状況を、ルカは詳しく書き記しています。「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした。」
 ここに書かれている「徴税人や罪人」というのは、ユダヤ社会においては神様に見捨てられた人々という意味があります。一緒にいると汚れが移る、だからこいつらとは一緒に食事をしない。ファリサイ派の人々や律法学者たちエリートはそう考えていました。
 「異邦人」という言葉はここにありませんが、異邦人もまた、ファリサイ派の人々や律法学者たちは一緒に食事をしませんでした。彼らにとって、それが当然だったのです。そういう意味において、徴税人や罪人と異邦人は同列だったわけです。
 この辺りをルカは意識して書いたとも考えられます。

 この姿は、そのままルカたち異邦人のクリスチャンとユダヤ人クリスチャンの図式に当てはまるのです。初期の教会において、ユダヤ人クリスチャンたちの中には、古いユダヤ人の考え方が捨てられず、異邦人クリスチャンに対して先輩風を吹かせ、上から目線でものを言ったり、差別したりする様子が随所に見られたのです。
 本当はどちらもイエス様によって見出された、大切な存在です。それなのに教会の中は民族の違いが元で一つにならずにギクシャクしているのです。ルカは指導者の一人としてなんとかしたいと考え、その思いを込めてこの記事を書いたのでしょう。
 もし私たちの教会でこの様なことが起起きた場合、一番悲しむのは、私たちを集めてくださったイエス様であることを覚えておきましょう。

 最後に、あまり取り上げられることのない「失くした銀貨」の例えに触れておきましょす。
 この女の人は死に物狂いでこの銀貨を探しています。ある注解書には、「彼女は欲しいものがあった」と記されていました。それは一点もので、他の人に買われてしまったら2度と手に入らない。それなのに不覚にも落としてしまった。ランプをつけて、必死で家中探してようやく見つかった。そんな様子が描かれています。
 もし1枚でも足りなければ、決して手に入れることができない。つまりここでは10枚はワンセットであることが強調されているのです。
 イエス様が見出し、集めてくださった私たちはワンセットであり、ワンセットでようよう神様の働きができる存在だから、一人として欠けてはいけない、という教えが込められているのです。

 教会においては一人一人、どの人も不必要な人ではないのです。能力が優先される世の中にあって、教会は決してそれに影響されることなく、私たち一人一人が神様によって探され、見つけられた者であり、見つけた時には天使たちも喜びに沸くのだ、と感じ取ることが大切なのです。
 神様の宝として見いだされた私たちは、さらに集まって、神様が願っておられるもの、地上における神の国の実現に向けて働きを続けていくのです。


古いブロック塀が撤去され
新しいフェンスのお目見えです
少し濃いめのペパーミントグリーン?
全体が出来上がるのはもう少し先ですが
なかなか明るく、良い感じになりそうです


0 件のコメント:

コメントを投稿