2019年6月20日木曜日

神に喜ばれる(日曜礼拝・お話の抜粋)

三位一体主日礼拝(白) (2019年6月16日)
イザヤ6:1-8 ローマ 8:1-13 ヨハネ16:12-15

 本日の礼拝からは、聖霊が降臨してくださった後、という意味で「聖霊降臨後 第何主日礼拝」という呼び方を用いていきます。本日聖書から聞いてまいりますテーマは「三位一体」です。父なる神、子なる神・イエス・キリスト、そして聖霊なる神。三つにして一つ。私達クリスチャンはこれを信じ、賛美歌でも信仰告白でも繰り返し口にしています。
 しかし、初めに申し上げておいますと、どんな有名な牧師も高名な神学者も、「三位一体」について万人が納得できるような合理的説明することはできません。「三位一体」という考え方は、信仰の奥義とも言われることがらで、イエス様を信じて聖霊を受け、謙虚に聖書を読み、信仰生活をコツコツと積み重ねていくことで初めて納得できるものだからです。
 時折「三位一体をちゃんと説明してもらえれば洗礼を受けます」と言う方がおられますが、それは難しいといいますか、順番が逆なのです。頭でいくら考えてもわからなかったことが、教会生活を始めてみて、ストンと腑に落ちる。そういうものなのです。
 3つの神のうち、父と御子に比べて、聖霊なる神はどのような方なのか分かりにくいと言われます。聖霊なる神がどのような方であるか知る鍵は「使徒言行録」にあります。別名「聖霊行伝」とも言われ、イエス様の弟子達や使徒たちが聖霊なる神に導かれて旅をし、試練をくぐり抜けながらイエス・キリストの復活の証人として成長していく様子が記録されています。21世紀の今日、世界のあらゆる国々にキリストの教会が存在していますが、これらはすべて聖霊の働きに拠っているのです。
 この聖霊なる神は聖霊降臨日にひょっこり登場されたのではありません。遠い過去、この世界が作られる以前から存在しておられました。創世記の1章2節には、まだこの地上が完成していない時、「神の霊が水のおもてを動いていた」とありますが、この霊というのが聖霊なる神を示す単語です。つまりこの神は、全ての最初から、この地上と人間をずっと見守っておられたのです。
 アダムとエバが楽園を追放されて以来、私達は法や掟に縛られた世界の中に生き、長い短いの差こそあれ、やがて確実に死を迎えるのです。人生は牢獄だ、生きることは苦しみだ、としか感じられない毎日から脱出するためには、どうしても「こっちだよ」と導いてくれる確かな導き手が必要なのだと聖書は記すのです。
 どんな時も私たちの傍にいて、私たちを理解し、愛してくれる方、この世の全てが敵となっても、天国へと導いてくれる方。そんな方がどんなときも共にいてくださると分かれば、生きる勇気が湧いてくるのでは無いでしょうか。
 そのお方こそ三位一体の神なのです。
 この世界の全てを作られた神が、このちっぽけな私を愛してくださっている。その証がイエス・キリストの生涯である。そして聖書に記されたそれらの出来事を丸ごと受け止められるよう助けてくださるのが、聖霊なる神の働きなのです。



松本教会の庭にたくさん咲いていました
リクニス・コロナリアというのだそうです
妻が気に入って、お願いして何株かいただいて駐車場の脇に植えました
飯田教会でも綺麗に咲くといいですね


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