2019年4月14日日曜日

「ちいろば、イエス様をお乗せする」(お話の要約)



受難(枝の)主日礼拝(紫) (2019年4月14日)
ゼカリヤ9:9-10 フィリピ 2:6-11 ルカ19:28-48


 今日の聖書箇所にはロバ、それも子ロバが出てきます。この子ロバは親しみを込めて「ちいろば」とも呼ばれています。ロバというのは元来、頑固で融通がきかず、気性も激しいとも言われています。馬に比べて小さいので、かわいいな、と近づいてなでようとしたら、がぶりと噛まれたという人の話を聞いたこともあります。

 もちろん調教さえすれば人を乗せることはできますが、馬のように従順ではなく、乗り手と呼吸を合わせるような作業は苦手で、何か絶対的な安心感が感じなければ、上手に操ることは難しいそうです。

 ましてや「まだ誰も乗ったことのない子ろば」です。ところがそんなロバを、イエス様は完全に乗りこなしてしまわれました。 

 聖書に登場する小さなロバ、チイロバは、今自分がお乗せしているその方が、数日の後に十字架にかかるなどとは思ってもみなかったことでしょう。ただイエス様の、威厳がありつつも優しさに満ち溢れた姿、その信念に圧倒されて、チイロバは自分がチイロバであることすら忘れて、イエス様の召しに答えて誇りを持って一歩一歩、歩いていったことでしょう。

 その道の続きを、今度はイエス様は何にも乗らず、十字架を担いで、歩んで行かれたのです。ゴルゴダ、つまり「されこうべ」という死を意味するところの場所に向かって、神様を信じて、神様が共にいてくださることを信じて、孤独な歩みを続けられたのです。
 もしチイロバがそのお姿を目撃したなら、あまりの落差に衝撃を受け、何が何だか分からなくなったことでしょう。
 しかしチイロバと共に歓声で迎えられた時も、血と汗でドロドロになりながら十字架を担いで歩いた時も、イエス様ご自身は何一つ変わりませんでした。栄光の時も、絶体絶命の時も、イエス様は変わらず神の子であり続け、ひたすらご自分の使命を果たすため歩まれたのです。そしてその過程で、全ての苦しみを身をもって経験されました。だからこそ、私たちの人生の良い時も悪い時も、心から寄り添ってくださることがおできになる方なのです。
 私達は頑固で臆病なロバのような存在です。良いときは何でもできるような気分で気が大きくなりますが、何かに挫折すると急に臆病になり、不安でいっぱいになります。それでも私たちはイエス様に招かれた者達です。一人一人がイエス様をお乗せしているんだと信じ、イエス様の重みを感じるように日々歩んで行くのです。
 歓迎の声も、嘲りや侮辱の声も、イエス様の重さと温もりを覚えてつつ、一歩一歩信じて歩んで行こう。たとえ弱々しいな、頼りないなという声が聞こえてきても、イエス様をお乗せして最後の時まで運び切る、その大役を果たすことが、私達の役割なのです。
 イエス様をお乗せするロバ達として、祈りつつ歩んでいきたい、その祈りや願いが叶えられていくことを覚え、新しいこれからの日々を共に前を向いて進んでまいりましょう。



※「ちいろば先生」こと榎本保郎先生は実在の牧師です。三浦綾子著「ちいろば先生物語」でこの呼び名が広まったのだと思います。興味のある方は是非お読みください。


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