2018年6月2日土曜日

最近読んだ本からー「詩集 雪明りの路」 伊藤 整 著


―最近読んだ本からー「詩集 雪明りの路」
伊藤 整 著
特選 名著復刻版全集  近代文学館
昭和4715日 印刷
昭和47110日 発行(第3刷)
椎の木社版

伊藤整と言えば、「チャタレー夫人の恋人」の翻訳をめぐって、表現の自由が争われた裁判を思い起こす。私の高校時代のころに、授業で「若き詩人の肖像」を文学史の中で習った記憶があるが、今回は、その詩集「雪明りの路」をある方から、貸していただいて、先に一読することができた。
伊藤整は、北海道の小樽市の出身であり、この詩集も、この故郷での懐かしい思い出を、詩作としてまとめたものである。詩人であり、小説家である著者の純粋で、赤裸々な思いが、優れた表現力で、記されている。大正158月23日に、「緑深い故郷の村で」序文を書いている。
文学者の細やかな自然の観察力や人間世界の描写には改めて驚かされる。伊藤整の場合、私は、読んでいて聖書の雅歌を思い起こさせられた。恋人との淡い恋愛感情などが、短い詩の中に、見事に切ない思いとなって表現されている。伊藤整の背景については、ほとんど何も知らないのだが、期せずして「雅歌」のような男女関係のあこがれのようなものを通して、神の人間に対する愛のようなものまで、彼は知らずして感じ取っていたのではないだろうか。
北海道には、私はまだ残念ながら行ったことがない。雪国のことを知っている人が、この詩集を始めて十分に理解してくれるだろうと、彼は序文に書いている。確かに、小樽の独特な自然や町の風情が細やかに描かれている。大正末期の時代の、今とは異なる独自の日本の歴史も感じ取られる。
しかし、この詩集は、今の日本人にも、場所と時を超えて、理解できるし、共鳴できる日本人の詩篇ということができよう。大きな字で、1ページくらいまでの詩が100篇くらいにまとめられていて、すこぶる読みやすい本となっている。それにしても、文学者の表現力、日本語の美しさには驚嘆させられる。そのような表現力、観察眼、感性といったものは、説教をする牧師にとっても、学ばねばならないものだと思わされる。そして、このような繊細な感性を持った詩人が、北海道の小樽市という、北国の自然と人々の中から生まれたことは、偶然ではあるまい。このような作品を古き良き時代の日本の産んだ名著とするだけではなく、今の私どもを振り返る生きた教科書とも見るべきであろう。

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