2018年6月3日、聖霊降臨後第2主日聖餐礼拝(―典礼色―緑―)、ミカ書第7章14節-20節、コリントの信徒への手紙一第9章24節-27節、マルコによる福音書第2章1節-12節、讃美唱32、(詩編第32編1節-11節)
説教「信仰から来る行い」(マルコ福音書第2章1節~12節)
今日は、聖霊降臨後第2主日となりました。そして、今日から再び、教会の聖壇の布などで用いる色は緑となります。この緑は、ノアの洪水のとき、箱舟から送りだした鳩が持ち帰ったオリーブの葉を表し、神にある希望を示す色であります。
そして、この主の日に与えられた福音は、マルコ福音書第2章1節から12節の中風であった人が、主イエスによって癒され、寝かされてきた寝床を担ぎ上げて、皆の見ている前を自分の家へと歩いて出て行くという奇跡の物語であります。私は説教題を「信仰から来る行い」と付けておきましたが、今日の第1朗読を見ても、また、讃美唱の詩篇の個所を読みましても、いづれも憐れみ深く、私どもの罪を赦して下さる、またとなき私どもの神というテーマであります。そして、福音書もまた、私どもの罪の赦しを告げられる主イエスのみ言葉であります。はたして、私どもの罪はことごとく赦されるのでありましょうか。旧約聖書は、救い主がいつの日か現れることを預言していましたが、そのお方、主イエスがお出でになられたとき、はたしてそれと人々は気づいたでしょうか。あるいは、このお方がただ一人のメシアであり、他の救いはあり得ないのでしょうか。今私たちがこの日の主イエスをお目にかかったら、この方こそこの世に来られた唯一の神と信じ、受け入れることができたでしょうか。このお方以外に人間に救いは天下広しといえどもない、断言できるでしょうか。
この日主は再び、カファルナウムに戻って来られ、家におられましたが、すぐに知れ渡ってしまいます。そして、人々が押し寄せ、戸口も人だかりで中に入れそうもありません。主は、み言葉、福音を語っておられました。そこに4人に運ばれて、中風の人が寝床に寝かされたまま、連れて来られます。4人は、中に入れず、屋根に上がって屋根をはがして穴を掘り、この人を寝床のまま、つりおろします。主は彼らの信仰を見て、この人に「あなたの罪は赦されている」と断言なさるのです。そのときの喜び、驚きはいかばかりだったでしょう。これを座って、考えあぐねている律法学者たちがいました。それを霊で見抜いた主は、「あなたの罪は赦された」というのと「あなたは起き上がって床を担ぎ歩きなさい」とうのとどちらが容易かと訊ね、しかし「人の子がこの地上で罪を赦す権威を持っていること知るように」と言われ、その通りになるのです。
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