2017年5月19日金曜日

―最近読んだ本からー 「国家神道と日本人」島薗進著

―最近読んだ本からー
「国家神道と日本人」島薗進
            岩波新書(新赤版)1259
発行 2016721日 第6刷発行    
           発行者 岡本厚
           印刷所 株式会社 岩波書店
 日本人は無宗教という言い方がしばしばなされる。島薗氏は、それに対して、そうであろうかと最初に疑問を出されている。この書を読む契機となったのは、尊敬する先輩の牧師先生が、島薗進氏の記事がその日の朝日新聞に載っているから是非読みなさいとのアドバイスからであった。
 早速、店で朝日を買ってきて読んだのである。それは、確か現在の安倍内閣の伊勢神宮参拝などの動向を危惧するものであったと思う。その記事の終わりに、先生の著書として、この本が挙げられていたので、買っておいたのである。先生は1948年生まれであるから、まだ69歳であり、今もなお、現代日本社会に対して、この著書のような発言をなさっておられることを思うと心強い。
 日本の神道の影響の多大であることを、島薗先生は、宗教学の立場から明らかにしておられる。一口に神道といってもその定義付けは難しく、特に明治維新以降の国家神道が、日本社会に及ぼした内容について、多くの側面から考察を展開しておられる。そして、国家神道の中心に天皇崇敬があり、皇室祭祀と神社神道が、紆余曲折を遂げながら、明治憲法、教育勅語などを転機として、戦時体制を整えていく展開となっていく。
 その中で、仏教や新宗教も取り込まれていったと大枠では捉えることができよう。明治維新の前から、尊王攘夷では一致していたとはいえ、神道と、国学、儒学の間での相克も一筋縄ではいかなかった歴史が検証されている。
 この著書の中では、内村鑑三の不敬事件が取り上げられているが、キリスト教、西洋思想は、明治政府の国家神道を日本国の国体とする政策の中で一貫して遠ざけられていくのである。では、象徴天皇制となった現在ではどうなっているのか。島薗先生は、国家神道、天皇の皇室祭祀を中心とする実態、意識、風土といえようか、それは今も形を変えながら存在していると見ておられる。

 天皇や皇室に対する敬慕の念は確かに日本人一般に今なお大きい。そのような中で、私たちは、世界大戦に突入していった日本人の宗教観や価値意識に国家神道が与えた影響力を忘れることはできないし、それはまた、現在も続いている大きな課題であることを正視しなければならないと改めて自覚させられた。今後とも島薗先生の働きに注目し、学ばせていただきたいと願っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿