マタイによる福音書第28章1節-10節、2017年4月16日(復活祭聖餐礼拝―白―)、使徒言行録第10章39節-43節、コロサイの信徒への手紙第3章1節-4節、讃美唱118/1(詩編第118編14節-24節)
説教「復活の主と出会う」(マタイによる福音書第28章1節~10節)
私どもは、少数の者でありましたが、去る受苦日には、礼拝堂に集められて、マタイによる福音書から、主イエスの十字架上の言葉から、主のみ苦しみを共に思い起こしました。
それは「わが神、わが神、どうしてあなたは、私をお見捨てになられたのですか」という父のみもとに召される直前午後3時頃に大声で叫ばれた、マタイによれば、主が十字架上で発せられた唯一のお言葉であり、祈りの言葉でありました。父の独り子であるみ子が、父によって見捨てられるということがどうして起こったのでしょうか。
しかし、主イエスは、その時にも、父である神を、わが神、わが神と二度も呼ばれつつ、霊を父のみ手にゆだねられて、十字架の死に至るまで、父のみ旨に従い通されたのであります。
それを、遠くから見守っていたのが、マグダラのマリアと他のマリアたちでありました。そして、そのご遺体を、アリマタヤのヨセフが、引き取って新しい墓に納め、しかしその墓は大きな石で封印され、番兵たちが見張りとしておかれていたのであります。
主イエスが、十字架上でなくなり、墓に納められたのは、安息日が始まる前のこと、すなわち、金曜日の日没前のことでありました。そして、安息日は金曜日の日没から、土曜日の日没まで続きます。
そして、今日、イースターの出来事は、もとの文を読みますと、「安息日の遅くに、それから一つ目の明け方が始まるときに」起こったと記されているのであります。これは、難解な書き方ですけれども、主イエスが何度も予告しておられた、十字架に付けられて三日後に、あるいは、三日目に起き上がらされたということを表しているのであります。
マグダラのマリアと、もう一人のマリアは、この日早く起き出して、主イエスのご遺体のある墓を見に行くのであります。大きな石でふさがれており、封印されて、番兵たちの見張る墓へ、とにかく二人は出かけるのであります。
ガリラヤから、主イエスに付き従ってきた女の弟子たちの先生イエスへの人間的な思慕から、二人は、ご遺体を見届けるために来たのであります。あるいは、それとも、既に、この二人は、主イエスが何度も予告していた、主がご復活になるという約束を信じてやって来ていたのでしょうか。それは、ありそうもありません。しかし、ともかく、二人は、墓のところまで、この日の明け方に来たのであります。
すると、そのとき、み使いが天からくだり、その大きな石を動かし、その上に座ったのであります。それゆえに、大きな地震となり、番兵たちは恐れて死人のようになります。そのとき、み使いは、女たちに言います。「恐れることはない。あなたたちは、十字架に付けられたイエスを探していることを、私は承知しているが、その方はここにはおられない。死人の中から起き上がらさせられたのだ。
ここを見なさい。その方が横になっておられた場所である。あなた方は、彼の弟子たちに言いなさい。彼はあなたがたよりも先にガリラヤに行かれる。そこで、あなた方は彼に出会うことになると。確かに私はあなた方に言いました」と。
二人は、恐れと大きな喜びをもって、墓から駆け出します。復活の出来事は、私どもに、恐れと喜びとを起こさせるものであります。ところが、その途上で、見よ、主イエスが二人を出迎えられるのであります。そして、「おはよう」と言われて、おなじみの挨拶で声をかけられた。
二人は、思わず、そのみ足を抱き、ひれ伏し礼拝するのであります。そして、主イエスはそれを温かく受け止められる。11弟子たちよりも前に、起き上がらされたお方は、女の弟子であったマグダラのマリアたちにお姿を現わされるのであります。そして、み使いが告げたのとほぼ同じ使信を二人に託されます。「あなた方は恐れる必要はない。あなた方は出て行って、私の兄弟たちに伝えなさい。彼らがガリラヤへと出発するように。彼らはそこで、私に会うであろう」と。
ペトロをはじめ、主の十字架におかかりになるときに、主を知らないと言い、主を見捨てて逃げてしまうことを主は前もって弟子たちに予告し、「私は羊飼いを撃ち、羊たちは散らされてしまう」と告げておられました。しかし、主イエスは、そのときに、ご自分は復活した後、彼らより先にガリラヤへ行くと約束しておられました。その使信を伝える務めを、マグダラのマリアたちに託されたのであります。
そのとき、11人は逃げ出していましたが、再びどこかに集まっていたらしく、マグダラのマリアたちはそこに向かっておりました。そして、ご復活の主イエスにも最初に出会うという光栄をマリアたちは与えられ、その主イエスを通して、再びガリラヤに参集し、兄弟姉妹としての交わりを回復してくださるとの使信を弟子たちに伝えるのであります。死と罪と闇から、私たちを、解き放つために、主イエスがこの朝、死者の中から、父によって起き上がらされ、今も共に生きて、お治めになっておられることを共に祝いましょう。アーメン。
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