2026年1月4日日曜日

「言葉が肉となった」(日曜日のお話の要約)

聖餐式・降誕後第2主日礼拝(2026年1月4日(日)(白))

エレミヤ書31章7―14節(旧)

エフェソの信徒への手紙 1章3-14節

ヨハネによる福音書 1章1―8節(新)


 新年あけましておめでとうございます。新しく始まったこの1年が私たちにとって、安定と平穏をもたらす年となることを祈ります。


 さて、いきなりですが、皆さん「もの忘れ」に悩むことはないでしょうか。人の名前や物の名前、自分が探しているものの名前、何か指示したり教えたりするときに示す、的確な言葉や単語。すべて「あれ」や「これ」で済ませられれば楽なのですが、そういうわけにも行きません。そんな時は苛立って、自分を否定するような言葉を使ってしまうこともあります。


 日本では古くから、発した言葉には言葉通りの結果が表れる力がある、と信じられていました。これは「言霊(ことだま)」と呼ばれ、言葉には霊的な力や魂が宿ると考える日本固有の概念だそうです。


 とはいえ、どんな国の人でも、言葉一つで元気になったり、落ち込んだり、腹を立てたり、憎しみを覚えたりすることがあるでしょう。だからこそ、自分のことや身近な誰かのことで「こりゃ~ひどい」と思うような時も、マイナス評価の言葉をそのまま投げかけるのでなく、発想を変えて少しでも肯定的な言葉を使うよう工夫するのが良いのです。言葉には発した本人の想像を超えた力や影響力があるものなのです。


 福音記者ヨハネは、言葉がなぜそんなふうに人の心を左右するのかと思考した結果、言葉は「神」から出るからだ、と明言しました。人に言葉を与えたのは神なのだから、言葉を正しく発し、正しく受け取ることで人は命を得ることができると考えたのです。


 しかし創世記に記されたアダムとエバの物語を読めばわかるように、人間は最初から神の言葉を正しく受け取らず、疑い、軽んじ、否定さえしました。


 天地創造の始まりには、神が光を生み出し、地球を取り巻くあらゆるものを創造し、生き物を生み出してゆきます。その過程を全て「神は言われた」と、言葉によって完成されたのです。ただ人間だけは「ご自身にかたどって人を創造された」と記されていて、神様にとって人間が特別な存在だったことがわかります。


 それなのに全てが完成して間もなく、人は蛇に唆されて禁断の木の実に手を出して楽園から追放され、厳しい労働なしには生きていけなくなります。そうやって生きて、食べて、死んでゆく。下手をすると神様を見失うという、危ういものになってしまったのです。


 旧約聖書には、アダムの子孫から生まれたイスラエルの人々が、神様から「私の民」と呼ばれ、愛されたにも関わらず、たびたび信仰を失い、その度に悲しい歴史が繰り返される様子が記されています。


 一族の不和から国の分裂や崩壊の危機もありました。ある時は侵略のきっかけをイスラエル自らが生み出してしまい、敗戦して国や神殿を焼き払われ、他国に強制的に連れて行かれ、奴隷のようになることさえありました。


 しかし、その都度彼らは信仰に立ち返り、ついには信仰を言葉として残し、正しく子孫に伝える方法を編み出しました。それが旧約聖書です。そうやって受け継がれた言葉の中には、苦しみの中に生きる人間のために、神様がいつか救い主を送ってくださること「イエス・キリストの誕生」がはっきりと予告されていたのです。


 ただ、旧約聖書を何百年も受け継ぎ続けたユダヤの民は「救い主」のイメージを自分達に都合の良いように膨らませたり歪めたりしていったようです。ですから、本当にイエス様がお生まれになって公に活動を始められた時「なんか違うんじゃないか」と思った民衆もいたのです。


 その辺りのすれ違いや、政治家たちの保身や計算の結果として、イエス様は十字架にかけられましたが、神様の力によって蘇られ、改めてご自分が「救い主」である事を証明されたのです。そのお姿が弟子たちの手によって新約聖書に残されることになりました。


 では福音書に記されているイエス様はどのような方なのでしょうか。


 イエス様は悪霊に取りつかれた者、重い皮膚病を患っている人、罪人、罪深い女たちとも分け隔てなく接し、望むものにはためらわず癒しを与えられました。病気で死にかかっていた子を持つ「王の役人」。池のほとりで「38年も病気で苦しんでいる人」「生まれつき目の見えない人」、「墓に葬られて4日もたった『死んでいた人』」このような人達をイエス様は見つめ、病を癒し、甦らせました。心病む人や、自分の力ではどうすることも出来ない危機に陥った人々にも手を差し伸べられました。


 しかしイエス様は、この世の幸せだけをお与えになったのではありません。イエス様の言葉は力強く、人間の究極的な幸せは神様が天国へ招いてくださることであり、そこに永遠の命があることをお伝えになったのです。


 生きる事を諦めてしまっていた人々にとって、イエス様のお言葉は光のようでした。あなたが、あなたのいる場所からこの世界を変えていくのだと、その光の言葉はまっすぐにその人々の心を照らしたのです。


 キリストの言葉は聖書に刻まれ、長きにわたって受け継がれました。世界を変えるほどの力を持つその言葉を、2026年の今、私たちは預かり、これから後も人々に教え、伝えていく役割が、神様のご命令として与えられているのです。閉塞感のある時代の中で、人が競争するしか生きることの希望を見いだせない社会の中で、その暗闇に光を届かせ、「生きよ」と言えるでしょうか。


 それは私たちイエス様を信じるキリスト者の役目なのです。福音書を記したヨハネは「暗闇はそれを理解できなかった」と記していますが、光を求めている人、神の言葉、イエス・キリストを求めている人は必ずいます。私たちは主イエスの言葉を伝えるものとして、この1年の歩みを始めて参りましょう。


あけましておめでとうございます

小さな教会の発信する目立たないブログですが

今年も見にきてくださってありがとうございます


今年の土曜学校は1月17日からスタートします

震災から4年目に新人牧師として

まだ震災の傷跡の残る神戸に遣わされました

神戸教会の庭に集まるご近所の子どもたちやお母さんたちと

「ルーテルこどもクラブ」という教会学校組織を作り

毎週火曜日午後3時30分からの礼拝のほかに

お餅つきにチャリティコンサート

オリジナル聖誕劇などなど

賑やかに楽しく、無我夢中で9年間を過ごしました


土曜学校の日は震災から31年

「ぶどうの木」の御言葉は私が選んだのではなく

幼稚園が1月の御言葉として決めておいたものですが

「ボランティア元年」と呼ばれた

当時の姿を、この御言葉を用いて

今の子どもたちに伝えられたらいいな、と思っています


工作は午年なのにうさぎです(^^;)
ふわふわあったかいものを作りたくて
数年前に作ったものをリメイクします
いつも幼児から小学校3、4年生くらいまでの参加で
作業の能力に差があるため準備はかなり工夫が必要ですが
集まってくれる子どもたちと楽しもうと思います

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