2025年8月17日日曜日

「信仰の完成者」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第10主日礼拝(2025年8月17日)(緑)

エレミヤ書23章23―29節(旧 1221)

ヘブライ人への手紙11章29―12章2節(新416)

ルカによる福音書 12章49―56節(新133)


 夏といえば全国高校野球選手権大会。日本福音ルーテル教会の関係では、熊本の「九州学院」が野球の強豪校で、全国大会にも何度も出場しています。ミッションスクールあるあるで、生徒やその家族がクリスチャンとは限りませんが、応援歌や校歌の歌詞などが讃美歌的なことが多いので心を惹かれます。今回私が興味を持ったのは福島県の聖光学園と静岡県の聖隷クリストファー学園でした。


 聖光学園の校歌は「復活の主 仰ぎゆく 高き望みに 恵あれ」「復活の主 仰ぎゆく 高き望みに 恵みあれ」で、なかなかいい歌詞だな、キリスト教精神、信仰を良く表した歌詞だなと思いました。


 聖隷クリストファーの母体であるキリスト教事業体はかなり大きな団体です。「聖隷」という言葉はキリストに誠心誠意仕える「聖なる奴隷」という意味です。また、クリストファーはキリスト教初期の伝説的な男性の名前です。


 彼は少年に姿を変えたイエス様を、そうとは知らずに背負って濁流の中を運ぶのですが、この少年はありえないほど重く、大変な思いをします。ようやく川を渡りきったところで少年は正体を明かし、ご自分は全世界の人々の罪を背負っているために重いのだ、と告げられます。イエス様は彼を祝福し、今後は「キリストを背負ったもの」という意味の「クリストファー(クリストフォロス)」と名乗るよう命じた、と言われています。



 ところで、「クリストフォロス」以外にも、キリスト教にはたくさんの伝説が生まれました。カトリックで聖人と呼ばれている人々の多くは、厳しい迫害に遭ってもキリストのために命を惜しまなかったとされています。キリスト教は迫害を受けつつ、それに耐えて発展していったのです。


 そもそもイエス様ご自身も、神様の力を使って一気にキリスト教を広めたわけではなく、辛く苦しい十字架の死と蘇りを経験されています。そしてその事実を受け入れた弟子たちが真の信仰を獲得していく過程を、私たちはよく知っています。


 それから1500年経って、やっと日本にキリスト教が伝わりますが、キリスト教が伝来して3年ほどで、人口の3%が洗礼を受けたという資料もあります。しかしキリスト教の基本的な考え方である「神はお一人だけ」という信仰や、キリストのためなら死を恐れない姿勢、さらにはその後ろ盾となっているヨーロッパ社会に脅威を感じた日本の為政者、豊臣秀吉は神父を追放し、徳川幕府もキリスト教を信じることを禁じました。


 為政者たちはキリスト教組織の弱点を探り、広がらないようにするためにキリスト教を研究したそうです。日本では世界に類を見ないほどの徹底した迫害が200年にわたって行われたのです。その時作られた制度は今も呪いのようにクリスチャンたちを苦しめていることが恐ろしくも感じます。


 そういった背景を持つ日本は、キリスト教が定着しにくい国と言われ続けていますが、なんとか細々とでも生き残り少数でも信徒たちがブレずに生きていられるのは、もちろん信徒の生き方の基準となる聖書が読み継がれて来たからです。


 聖書には単に道徳的な良い話が書かれているわけではありません。旧約聖書には、ドロドロの戦争の歴史が描かれると同時に、キリスト教の母体となったユダヤ教が、幾多の迫害の中、子どもたちをどうやって教育し、信仰を継承していったかが記されています。


 また新約聖書では、キリスト教が誕生した後、今度はユダヤ教徒の迫害を受け、悪者のように扱われながらも、イエス様をお手本として必死で生き、宣教を行っていった様が記されています。


 ただ粛々と良い子でいただけでは、キリスト教はとっくの昔に地上から消えていたでしょう。しかしそうではなく、イエス様を信じた人々は信仰において妥協しない頑固者と罵られ、周囲から苛立ちや迫害を呼ぶことを理解した上で、聖書に示された知恵も用いていきました。


 本日読みました福音書には、イエス様ご自身の言葉として「私が来たのは地上に火を投ずるため」と記されています。これは、イエス様はご自分の教えや存在によって、分裂や対立が引き起こされる可能性がある、という意味です。まるで悪者の開き直りのように聞こえかねませんが、これは真理を求めること、そして神様の御意志に従うことの難しさ、そしてそれによって周りと葛藤や価値観のズレがおき、争いの元になってしまうであろうことを表しています。


 世の中には、理解できない相手は、和解するより叩き潰してしまえ、という恐ろしい発想を持った人々もいまだにいます。しかしキリスト者の基準は「イエス様ならきっとこうするはず」です。そしてそれがその時その時の社会通念と対立するとしても、対立した相手と理解し合える日を信じ、神様の御心に沿って社会を変えていくために怯んではいけない、と教えられるのです。


 キリスト者には強い影響力を持った人々もいますが、多くのクリスチャンはそこまでの力はありません。ただ、本日読んでいただいた「ヘブライ人への手紙」にあるように、おびただしい数の無名のクリスチャンたちが、周りの価値観に揺れ動きながらも、復活の主が共にいてくださることを信じ、対立があっても絶望せず、必死で次の一歩を進めて来たからこそ今があるのです。イエス様はそうした信仰的な生き方を完全に私たちに示してくださるのです。


 ヘブライ人への手紙12章2節には「信仰の創始者、また完成者であるイエスを見つめながら」という御言葉が記されています。イエス様は私たちに信仰を与え、信仰を持って歩み続けられるよう聖霊を下さいました。そして、聖霊は、信仰だけでなく、礼拝を大切に守り、世の終わり、イエス様が再び来られるその時まで続けるように導いてくださいます。私たちも、礼拝を守り続ける姿勢が実はこの世の救いに繋がることを信じて、誠実な信仰と者として歩んで参りましょう。



第二次世界大戦の折、飯田市は空襲こそ受けませんでしたが
戦後間もない1947年4月20日に大火が発生します

Wikipediaには「焼損棟数は3,742棟、焼損面積は48万198m2
焼損面積の観点では戦後日本最大の市街地大火である」
と記されています

教会も幼稚園も燃えてしまったので
100年を超える歴史を持ちながら
教会には写真類などはほとんど残されていません

この写真は地域の行事に展示されているのを偶然見つけました
「戦前の仲之町」とキャプションが入っています
右上の三角屋根が当時の教会です
目を凝らせば、屋根の上に十字架が見えます(^^)

「戦前の仲之町」
(おそらく)地域の団体が保管しているのでしょう

でも飯田は挫けませんよ

市のシンボルでもある愛らしいりんご並木は

暑さの中も今年も健在です

下の写真は以前、9月に撮影したもの

今年ももうすぐこの姿が見られるはずです



市中心街に2本の防火帯の役割を果たす幅員の充分な道路を街の中心で交差させ、
町を4分割するように整備した。これにより、万が一の大火災時には
火災発生元の4分の1の町の焼失で喰い止め
それ以上の延焼を防げるようにした。
1953年から、この防火帯道路の緑地帯には
地元中学生によってりんごの木の植樹が開始され
飯田りんご並木として復興のシンボルとなった。(Wikipediaより)

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