顕現後第6主日礼拝(2025年2月16日)(緑)
エレミヤ書17章5~10節(旧 1208)
Ⅰコリント15章12-20節(新 320)
ルカによる福音書 6章17-26節(新112)
飯田を訪れた宣教師の方々について調べてみますと、宣教の思いは筋金入りで、飯田幼稚園の園長だった宣教師のご子息は、帝政ロシアから独立したフィンランドで教育大臣になったそうで、その思想の根本は遊郭の近くに建てられた飯田教会で培われたと伝え聞きました。
日本福音ルーテル教会は、他にアメリカから来られる宣教師の方もおられますが、私の感覚ですが、雰囲気が違うように思えます。
どちらの国の宣教師の方々も、貧しき者に寄り添うために宣教にいそしみ、泣く者と共に泣くという、キリスト者としての生き方を日本人に指し示すことを喜びとしておられます。ところがこのタイプの違う二つの国の宣教師が日本で出会うと、それぞれ自分達のアプローチが日本のためになると信じ、互いのやり方を批判するのです。間に挟まった日本の牧師は、教会員やその家族に悪い影響が出るのではないかと、ヒヤヒヤしてしまいます。
古い話ですが、日本にキリスト教が伝えられたのは1549年、織田信長や豊臣秀吉の時代です。ヨーロッパを出発したイエズス会とフランシスコ会は、海外宣教する土地を巡って縄張り争いをした挙句、日本にたどり着きます。対立する二つの宣教団体が信者獲得の為にさらに半目しあって、ついには京都で大暴れした、と言う嘘か本当かわからない記録があるそうです。
仮にイエズス会とフランシスコ会の宣教師たちが日本人の救いのために協力して宣教したならば、歴史はずいぶん変わっていたのではないかと思うのです。ですから、フィンランドとアメリカでは宣教の方法が違うなあ、と思うたび、この歴史出来な出来事を思い出します。
日本の牧師は学生時代に、キリスト教と「異端」と呼ばれる教えの違いを学びます。説明すれば長くなりますが、簡単に言えば、イエス様を唯一の神様の信じ、聖書66巻を神の言葉と信じて勝手に付け足したりしないこと、そういったことが基準となります。これを満たしていれば、どれだけ方法論が違っても、同じキリスト教徒として、ときには手を取り合って伝道する必要がある、と学びます。理想と現実は違いますが、忘れないでいたいと思うことの一つです。こう言った協調路線は日本人の得意なことなのかもしれません。
さて、本日のルカ福音書ですが、本日読みましたところは、「平地の説教」と呼ばれるところで、マタイ福音書5章の「山上の説教」と同じ内容です。しかし注意して読むと強調点が異なっています。
ルカ福音書の冒頭は「貧しい人々は、幸いである」で始まりますが、マタイ福音書は「心の貧しい人は」と「心が貧しい」という言い方で始まっています。ここからわかるように、マタイは精神性を強調しているとも言われています。
一方ルカ福音書は、ずばり「貧しい人々は」です。イエス様は「目の前にいるあなたがたは貧しい者だ、しかし神の国はあなたがたのものである」と教え、伝えたのです。
ここから読み取れることは、ルカ福音書を書いたルカの側には、本当にお金がなく、病になっても医者にもかかれず、苦しみに泣いている人々がたくさんおり、その人々が教会に集まって、イエス様のお言葉を聞いていた、ということです。
ルカ福音書の著者であるルカがユダヤ人ではないことは何度かお話ししました。ルカはイエス様に一度もあったことはありませんが、回心したパウロに導かれてイエス様を信じ、地中海沿岸への宣教旅行に同行します。キリストの教えが、ユダヤ人だけの教えではなく、全ての民族に開かれていると確信し、教会を建てあげていった人物で、その苦労は使徒言行録や手紙に綴られていますす。
その宣教の過程で、他の宗教を信じる人々に命を狙われるだけでなく、ユダヤ教を信じるユダヤ人からも迫害されます。信徒の派閥争いにも巻き込まれ、パウロと共に涙を流し続けました。
一方、マタイ福音書の著者であるマタイは徴税人からイエス様の12弟子一人へと劇的転身を遂げた人物だと言われています。マタイ福音書は旧約聖書からの引用が多いことから、読者が旧約聖書を「なるほど」と読める知識を持ったユダヤ人であることを想定して書かれたようです。恐らくマタイにはキリスト教とユダヤ教を明確に分ける考えはあまりなく、イエス様の教えを尊重しながらユダヤ社会の中で生活し、他の民族と一体化することに少し抵抗を示すような場面もあったようです。
ざっくり言ってしまえば、ルカたち異邦人クリスチャンがさまざまなトラブルに耐えて波乱万丈の宣教だったのに対し、マタイたちの生活はもう少し安定していたとも考えられます。もちろんそれは神様のご計画の中にあるので、マタイとルカのどちらが楽だったか、などと比較することに意味はありません。マタイは伝統に凝り固まったユダヤ人と日々接しながら理論的に伝道を続けたので、その教えは心の持ちようを強調することも多かったでしょう。
つまりは、お金のない貧しい異邦人に伝道するルカと、経済的には安定していても頭の硬いユダヤ人に伝道するマタイの違いが、イエス様の教えの「貧しい人は幸い」という考え方の最初に「心の」を付けるか付けないかの違いを生み出したといえるのでしょう。
牧師仲間で「心」が付いているのが好きとか嫌いとか言った雑談をすることもありますが、自分の好みに合わない記述でも、その御言葉を生み出した当時の背景が隠されており、ひいては神様のご計画が見えてくる、という結論に落ち着きます。
さて、イースターの頃には、会堂の耐震補強も完成します。飯田の大火の後、ノアのはこぶねの三分の1スケールで作られたそうです。、間も無くそれを取り戻す私たちは、ここであらたな世界を創っていく勢いで、群れとして信仰形成をし、歩んで参りましょう。
昨日は土曜学校でした
幼稚園の遊戯室は都合でお借りできなかったので
日曜日に礼拝をしている「集会室リリー」で
試みに実施してみました
狭かったけど、お友達はそれなりに
楽しんでくれたのではないかと思います
いつものように作品を持って記念写真です
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