2020年10月13日火曜日

信仰を着る(日曜日のお話の要約)

 聖霊降臨後第19主日礼拝(2020年10月11日)
イザヤ書25:6-8 フィリピ4:8-9 マタイ福音書22:1-14


 本日、イエス様は「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。」と話し始められます。

 イエス様は「王様が人々を呼ぶ」「招く」という言葉を何度も使っておられます。これは「大声で呼ぶ」という意味だそうで、神様が大きな声で婚礼に、つまり「神の国」に来るよう呼びかけてくださっているのです。


 当時ユダヤの国はローマ帝国に支配されていました。かろうじて自治や信仰の自由は認められていましたが、政治と宗教のリーダーたちはローマの顔色を伺うばかりで、そこに暮らしている全ての人の神様に対する信仰が危機にさらされていたのです。

 そんな時、洗礼者ヨハネが現れ、民衆に大声で悔い改めを呼びかけ、神様に信頼して生きよう、と導きました。民衆はヨハネの教えに惹かれて集まりましたが、彼の存在を邪魔だと思う権力者に殺されてしまいます。

 民衆は導き手を失ってしまったかに見えましたが、そこに現れたのがイエス様でした。再び素晴らしいリーダーを得たことで、一部の人々はイエス様の存在に熱狂します。

 しかし日に日に高まる人気に、政治や宗教を司る祭司やファリサイ人達はイラつき始めます。彼らは自分たちの立場を守るためにイエス様の教えをまともに聞こうとしませんでした。祭司やファリサイ人達は旧約聖書を通して神様が救い主を遣わしてくださる事を知っていました。しかし彼らはそれを知っていたにも関わらず、イエス様という王子、つまり救い主が到来した時、反発し、信じようとせず、敬おうとしなかったのです。


 このお話の中で、王様はあらかじめ客に招待の日時を知らせています。しかし当日になると招かれた人々は勝手に畑や商売に出かけ、ある者は、せっかく遣わされた王様からの使者を殺してしまうのです。これは旧約聖書を通してイエス様の訪れを知っていたのに拒否した事を表しています。

 イエス様は「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、町を焼き払った」と語ります。実はこれはイスラエルの歴史に本当に起こったことでした。西暦70年、ユダヤの国はローマとの戦いに敗れ、滅亡するのです。イエス様はもちろんそのことを知っておられました。


 少し話の先を急ぎ過ぎましたが、イエス様の例え話はユダヤの国が滅亡することだけを表したのではなく、ちゃんと続きがあります。

 予定していた人々が婚礼に来なかったので、家来たちは王様に命じられるままに「町の大通りに出て」貧しい人々を集めます。家来たちは自分ではふるい分けをせず、そこにいた全ての人に、王のもとにゆき、イエス様の祝いの席に着くように促します。

 これは、神様がどんな人でもイエス様を信じるならば、ご自分の元に招こうと決められた事を表しています。異邦人と呼ばれる人々に救いの恵みが告げ広められることをイエス様は宣言なさったのです。


 さて、招かれた人々には素晴らしいご馳走が用意され、その場所は喜びに満ち溢れました。自分など招かれるはずがないと思っていた人々の喜びは大きかったでことでしょう。

 大宴会では、主人が招待した人たちに礼服を用意する風習もあったようです。招かれた人が貧しくて、服を持っていないかもしれないのは承知の上で招いたのですから、王様の側で礼服を用意していたと思われます。誰であれ、素直に主人が用意してくれた礼服を着用するなら、その場にふさわしい者となれました。ところがそこに、婚礼の礼服を拒み、自分の服を着たままの人がいたのです。

 神様である主人が、キリストが来られたことを共に祝うのにふさわしい服をその人のために用意したのに着なかったのです。この人はふさわしいものになるのを頭から拒み、自分のやり方を通そうとしたのです。


 例え話の中で、神様はその人に「友よ」と呼びかけられました。悔い改めのチャンスだったのかもしれません。しかし、この人は黙ったままで、神様の思いをはねつけました。神様がこの地にイエス様を遣わしてくださったことなど無意味だと言っているのと同じでした。それは神様にとって何よりも悲しいことだったのです。


 「キリストを着る」とは、イエス様がこの世でなさったことをお手本として生きていく、ということです。神様が用意してくださった服は、私たち一人ひとりにぴったりに作られた「信仰という名の服」なのです。これを一度身にまとうなら、神様がどれほど私の為に配慮し、考えてくださっているのか分かるはずです。

 私たちは神様に招かれた者達です。私たちが何者であるか承知の上で、神様は「キリストを纏うように」と用意してくださいました。困難なことがあっても、キリストを着て、信仰を着て、自分の生き方をイエス様に導かれるままに変えていこうとする気持ちがあれば良いのです。私達一人一人は神様から大きな声で招かれた、大切な存在なのですから。





牧師館への頂き物2種( ^ω^ )ご紹介
毎年ブドウの産地・勝沼の友人からいただく秋の実り
彼はブドウ農家なので、まさに産直です
素晴らしい甘みです


教会員がお庭でとれた栗をくださったので
栗ご飯にしてみました
ホクホクで美味しいです

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