2019年1月20日、顕現節第3主日礼拝(―典礼色―緑―)、エレミヤ書第1章4節-8節、コリントの信徒への手紙一第12章1節-11節、ルカによる福音書第4章16節-32節、讃美唱119/2(詩編第119編9節-16節)
2019年1月20日、顕現節第3主日礼拝(―典礼色―緑―)、エレミヤ書第1章4節-8節、コリントの信徒への手紙一第12章1節-11節、ルカによる福音書第4章16節-32節、讃美唱119/2(詩編第119編9節-16節)
説教骨子「今日そのみ言葉は実現した」(ルカ福音書第4章16節-32節)
顕現節第3主日となり、先週までの白から緑に、教会暦で用いる色も変わりました。緑の時期に、私どもは、主イエスの語られたみ言葉となされたみ業を順次聞いていきます。今日の個所は今年になって初めての緑の季節に、主イエスが、育ったナザレで、ヨルダン川で洗礼を受け、続いて、荒れ野で霊によって40日間の試みを受け、故郷ナザレの会堂における、公生涯に入って初めての説教が記されています。一年の始めのこの時期に、主イエスが礼拝において語られた説教をご一緒に学んでスタートを切れますことはまことに幸いであります。いつものように主は、安息日に会堂に入って来られ、係りの者からイザヤ書の巻物を受け取られ、開いて、第61章の1節、2節の個所を見出されます。「主の霊が私に向かってある、主がわたしに油を注がれたからである。貧しい者に福音を宣べ伝え、囚人たちに解放を告げ、盲人たちには視力の回復を、踏みにじられている者たちを自由にして送り出すために、主がわたしを遣わされたからである。そして、主のご好意の年を告げるためである。」主イエスは、朗読を終えると係りの者にその巻物を巻いて返し、お座りになります。会堂にいるすべての者の目が彼を凝視していたとあります。すると、主は、「この聖書のみ言葉は、今日、あなた方の耳において満たされた」と言われて、説教を始めたとあります。そして、すべての者は、彼に好意的に証言し、主イエスの口から出る恵みの言葉に驚いていたとあります。しかし、「これは、ヨセフの息子ではないか」と語っていたと続いています。郷里の人々は、主イエスの出自、人間的な側面に思いを寄せて、賛嘆から訝しむことへと移るに至るのであります。主イエスは、それを見て、お答えになられ、「あなた方は、『医者よ、自分自身を癒せ』ということわざを引いて、あなた方は、カファルナウムで私がしたことと聞いていることどもを、ここ故郷でもしてくれと言うだろう。しかし、まことに言っておくが、預言者は自分の故郷では受け入れられないものだ。エリヤは、干ばつが3年6カ月続いたときに、イスラエルのやもめの下にではなく、サレプタのやもめのところにだけ遣わされ、エリシャは、シリア人ナアマンの重い皮膚病を癒したのみであったと告げます。彼らは、心を開き主なる神に対して従順であったからであります。ナザレの人々はこれを聞いて、イエスを殺そうとさえします。だが私たちは、毎週、この日の主イエスが説かれた、あなたたちの罪は赦されているとの礼拝につながり続けたいものです。
顕現節第3主日となり、先週までの白から緑に、教会暦で用いる色も変わりました。緑の時期に、私どもは、主イエスの語られたみ言葉となされたみ業を順次聞いていきます。今日の個所は今年になって初めての緑の季節に、主イエスが、育ったナザレで、ヨルダン川で洗礼を受け、続いて、荒れ野で霊によって40日間の試みを受け、故郷ナザレの会堂における、公生涯に入って初めての説教が記されています。一年の始めのこの時期に、主イエスが礼拝において語られた説教をご一緒に学んでスタートを切れますことはまことに幸いであります。いつものように主は、安息日に会堂に入って来られ、係りの者からイザヤ書の巻物を受け取られ、開いて、第61章の1節、2節の個所を見出されます。「主の霊が私に向かってある、主がわたしに油を注がれたからである。貧しい者に福音を宣べ伝え、囚人たちに解放を告げ、盲人たちには視力の回復を、踏みにじられている者たちを自由にして送り出すために、主がわたしを遣わされたからである。そして、主のご好意の年を告げるためである。」主イエスは、朗読を終えると係りの者にその巻物を巻いて返し、お座りになります。会堂にいるすべての者の目が彼を凝視していたとあります。すると、主は、「この聖書のみ言葉は、今日、あなた方の耳において満たされた」と言われて、説教を始めたとあります。そして、すべての者は、彼に好意的に証言し、主イエスの口から出る恵みの言葉に驚いていたとあります。しかし、「これは、ヨセフの息子ではないか」と語っていたと続いています。郷里の人々は、主イエスの出自、人間的な側面に思いを寄せて、賛嘆から訝しむことへと移るに至るのであります。主イエスは、それを見て、お答えになられ、「あなた方は、『医者よ、自分自身を癒せ』ということわざを引いて、あなた方は、カファルナウムで私がしたことと聞いていることどもを、ここ故郷でもしてくれと言うだろう。しかし、まことに言っておくが、預言者は自分の故郷では受け入れられないものだ。エリヤは、干ばつが3年6カ月続いたときに、イスラエルのやもめの下にではなく、サレプタのやもめのところにだけ遣わされ、エリシャは、シリア人ナアマンの重い皮膚病を癒したのみであったと告げます。彼らは、心を開き主なる神に対して従順であったからであります。ナザレの人々はこれを聞いて、イエスを殺そうとさえします。だが私たちは、毎週、この日の主イエスが説かれた、あなたたちの罪は赦されているとの礼拝につながり続けたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿