―最近読んだ本からー「霊魂の不滅か死者の復活か
―新約聖書の証言からー」
オスカー・クルマン著
岸千年、間垣洋助 訳、辻学 解題
発行日 2017年12月15日 初版発行 発行者 西千恵・間垣純
発 行 日本キリスト教団出版局
定 価 1296円
かつて聖文舎から、この本の翻訳は出版されていたが、今回新しく、辻学氏(広島大学教授・新約聖書学)の解題もうしろに加えられている。O・クルマンのこの著書は1962年に出されているが、その後の学説の動き、カトリック教会からの批判などもそこで取り上げられている。むしろ、この最後の解題から読むのが、この本の理解を容易にするだろう。O・クルマンは、ルター派の神学者であり、1948年『キリストと時』(前田護郎訳、岩穴見書店発行)によって世界的に名を知られるに至ったという。お世話になった岸、間垣先生の訳でもあり、また説教塾の加藤常昭先生からもつとに読むよう勧められていたが、この度新たな装いで出版され、ようやく読むことができた。
我々人間は死ぬとどうなるのだろうか。この本に一つの解答を見出すことができるように思う。辻氏が「解題」で紹介しているように、この書の出された当座から、反論も多く出され、特にカトリックの側からの批判もあるようだし、その後の新約聖書学の発展も、十分研究しなければならないようである。しかしここに一つの聖書の、特に新約聖書の人間観が、浮き彫りにされている。
ギリシャ思想、特にプラトンとソクラテスにおいては、霊魂は不滅であり、肉体はいわば牢獄であって、ソクラテスは死を恐れることなく、毒杯を仰いで、黙々と死を迎えたのである。それと対照的に、主イエスは、死を前にして、悶え、おののきながら死んでいったことを聖書は証言している。そして、主イエスの死は、罪から来る死との壮絶な戦いであった。そしてその戦いに主イエスは、完全に勝利したのである。そして死者からの体の復活を遂げる。死のとげは抜かれたのである。罪と肉は、もはや支配せず、キリストは復活の初穂、霊の体となって、死者の中からよみがえられた。復活の命は、聖霊によって、既に成就しているが、しかしなお完結はしていない。キリストを信じた者もなお死を迎えるし、病も経験する。キリストを信じて召された死者たちはいわば眠りの中にあり、安らぎの中にある。そして全被造物も、人間の罪からもたらされた虚無の中でうめいているが終わりの時にすべて霊的な体をもって復活する。
0 件のコメント:
コメントを投稿