2019年1月27日、顕現節第4主日礼拝(―典礼色―緑―)、エレミヤ書第1章9節-12節、コリントの信徒への手紙一第12章12節-26節、ルカによる福音書第5章1節-11節、讃美唱85/2(詩編第85編9節-14節)
説教骨子「支え合おう、伝道の旅路を」(ルカ福音書第5章1節~11節)
今日は、この後、飯田教会総会を控えています。この総会の主の日に、まことにふさわしく、シモン・ペトロとゼベダイの子ヤコブ、ヨハネが、主イエスによって、弟子として召し出された記事が与えられましたことは、偶然とは思えないのであります。神さまの不思議な導きがあって、この記事に遭遇しているように思うのです。 さて、この記事は、どういう場面かと言いますと、ナザレでの説教もあり、主イエスがカファルナウムに落ち着いて、シモンのしゅうとめの熱を癒したり、ガリラヤやユダヤ近域の町々村々を行き巡って、主は神の国を宣べ伝えておりました。そして、再び、ゲネサレト湖のほとりにおられたときに起こったことには、群衆が、神の言葉を聞こうと、主イエスのもとに押し迫っていたのであります。主イエスは、海に沿って2そうの小舟を見出し、その一つは、シモンの持ち舟であったのですが、それに乗せてくれるように、そして、少し岸辺から漕ぐように、頼んだのであります。彼らは漁を終えて、網を洗っていたところでした。そして、主イエスは、その小舟に座って、岸辺の群衆に向かって語られた。そのあと、シモンに向かって、深みに漕ぎ出して、網をたれ、漁をするように勧めたのですが、シモンは、先生、私たちは夜通し、漁をしたが一匹もとれませんでした。しかし、お言葉ですからやってみましょうと応えて、その通りにしたのです。すると、どうでしょう、その網にはあまりにも多くの上がかかり、破れそうになります。それで、もう1隻の仲間に合図して助けてくれるようにしますと、2そうの舟は魚で一杯になり、沈みそうになります。シモン・ペトロは、このとき、「私は罪深い人間です、私から離れてください、主よ」と主の足もとにひれ伏します。漁の魚のあまりの多さに、怖れが彼を、また、仲間たちを取り囲んでいたとあります。主イエスは、恐れることはない、あなたは、今から後、人間どもをすなどる、すなわち、生け捕りにするものとなろうと約束なさったのであります。彼らは、舟を陸に上げた後、すべてのものを後に残して、主イエスに従ったのであります。シモンは、完璧な人物ではありませんでした。弱さをも兼ね控えている漁師でありましたが、主イエスによってこの時から、人々を、神の国へと、また福音へと招きだし、釣りだす漁師へと変えられたのであります。そして、私どもも、賜物、また各持ち場こそ違え、人々を教会に招く漁師とされていることを覚えたいものです。2019年度の総会に当たって、それに思いを致し伝道を支え合いつつ。
0 件のコメント:
コメントを投稿