2018年11月23日、甲信地区一日神学校閉会礼拝・説教
2018年11月23日、甲信地区一日神学校閉会礼拝・説教
説教「昼、太陽はあなたを撃つことがなく・・・」(詩編121編1~8節)
この記事がどういう状況で書かれたのかは定かではありません。だれが、だれに対して、歌っているのか。エルサレムに巡礼に出る若者が、見送る人たち、たとえば、父親に向かって言っているのか、あるいは神殿のようなところで、祭司と、巡礼に来た平信徒の会衆とで歌っているものなのか、よく分かりません。
たとえば、送り出す父親と若者とが交わした言葉なのか、詩人一人が自分の心の中で独白している歌なのか、いろいろと解釈されているところであります。
けれども、この歌が、イスラエルを守る方、私たちが出て行くにも、入って来るにも、見守り、目覚めていて見張られ、気を付けてくれる主なる神の守りを確信し、今から、とこしえまで、わたしたちの全生涯の危機を共にいて、乗り越えさせてくださる神を告白していることは確かであります。
「私は目を見上げて山々を見る」と始まります。それは、どこの山々でしょうか。シオンの山々に住まう主なる神とも言えます。それとも、危険の待ち受ける山々のことだったのでしょうか。詩人は、「私の助けは、主から来る」と断言します。そして、そこから、あなたは、常にまどろむことなく、眠ることもなく見張り、私どもを気遣い、共に同行してくれる神への信頼、約束の言葉が続きます。
主なる神とあなたとの間が繰り返されます。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜も月があなたを撃つこともない。天地の造り主なる神が、まどろむことなく、あなたが、その足がよろめくこともないようにされるから、というのです。
太陽も月も動かされている、創造されて、今も守っておられるのは、主だからです。そして、このお方は、当時の中東やエジプトの神々のように、疲れたり、地上の人間どもの喧騒から離れて、眠ったりする必要はないお方です。
そして、終わりに言います。この見守る方は、あなたが出て行くのも、入って来るのも見守られ、毎日の私どもの居住する中においても、見張られている方であり、私どもの今から、とこしえまで永遠に、同じ旅路を共に歩んでくださる方であります。
そして、私どもを、あらゆる災い、悪から遠ざけて下さる方、私たちの魂、喉の渇き、体も心も、私たち自身や願いをも見守ってくださる方であります。
私どもは、今日、命の看取りや介護の問題を、日本に生きるキリスト者として、共々に学び、考える機会を与えられましたが、自分にも必ず来る、そして、私どもの親しい人たちにも必ず来る終わりの時を思い、覚えながら、しかし、死の陰を渡っていくときにも、主が導いてくださることを信じ、また、私どもが歩むとき、私どもの右手に、翼の陰を広げて、共に担い、助けてくださる神を、そして、主イエス・キリストをあおぎ見ながら、残された生涯の旅路を雄々しく歩んでいきたい。
主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安をたまわります。
父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。
この記事がどういう状況で書かれたのかは定かではありません。だれが、だれに対して、歌っているのか。エルサレムに巡礼に出る若者が、見送る人たち、たとえば、父親に向かって言っているのか、あるいは神殿のようなところで、祭司と、巡礼に来た平信徒の会衆とで歌っているものなのか、よく分かりません。
たとえば、送り出す父親と若者とが交わした言葉なのか、詩人一人が自分の心の中で独白している歌なのか、いろいろと解釈されているところであります。
けれども、この歌が、イスラエルを守る方、私たちが出て行くにも、入って来るにも、見守り、目覚めていて見張られ、気を付けてくれる主なる神の守りを確信し、今から、とこしえまで、わたしたちの全生涯の危機を共にいて、乗り越えさせてくださる神を告白していることは確かであります。
「私は目を見上げて山々を見る」と始まります。それは、どこの山々でしょうか。シオンの山々に住まう主なる神とも言えます。それとも、危険の待ち受ける山々のことだったのでしょうか。詩人は、「私の助けは、主から来る」と断言します。そして、そこから、あなたは、常にまどろむことなく、眠ることもなく見張り、私どもを気遣い、共に同行してくれる神への信頼、約束の言葉が続きます。
主なる神とあなたとの間が繰り返されます。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜も月があなたを撃つこともない。天地の造り主なる神が、まどろむことなく、あなたが、その足がよろめくこともないようにされるから、というのです。
太陽も月も動かされている、創造されて、今も守っておられるのは、主だからです。そして、このお方は、当時の中東やエジプトの神々のように、疲れたり、地上の人間どもの喧騒から離れて、眠ったりする必要はないお方です。
そして、終わりに言います。この見守る方は、あなたが出て行くのも、入って来るのも見守られ、毎日の私どもの居住する中においても、見張られている方であり、私どもの今から、とこしえまで永遠に、同じ旅路を共に歩んでくださる方であります。
そして、私どもを、あらゆる災い、悪から遠ざけて下さる方、私たちの魂、喉の渇き、体も心も、私たち自身や願いをも見守ってくださる方であります。
私どもは、今日、命の看取りや介護の問題を、日本に生きるキリスト者として、共々に学び、考える機会を与えられましたが、自分にも必ず来る、そして、私どもの親しい人たちにも必ず来る終わりの時を思い、覚えながら、しかし、死の陰を渡っていくときにも、主が導いてくださることを信じ、また、私どもが歩むとき、私どもの右手に、翼の陰を広げて、共に担い、助けてくださる神を、そして、主イエス・キリストをあおぎ見ながら、残された生涯の旅路を雄々しく歩んでいきたい。
主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安をたまわります。
父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。
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