2018年8月19日、聖霊降臨後第13主日聖餐礼拝(―典礼色―緑―)、エレミヤ書第23章1節-6節、エフェソの信徒への手紙第2章11節-22節、マルコによる福音書第6章30節-44節、讃美唱23(詩編第23編:1節-6節)(松山教会での礼拝説教)
説教「あなた方が五千人の飢えを満たしなさい」(マルコ6:30-44)
今日の福音書の出来事は、使徒たちが初めての宣教旅行から戻って来て、主イエスに、彼らが行ったことをみな報告したという記事から始まっています。この使徒たちというのは、特別な12使徒という職務の人たちを指しているのではなく、主から遣わされた者たちという意味であります。
主から遣わされて、主と同じわざをし、悪霊を追い出し、病人たちに油を塗り、彼らを癒すみわざをなして、戻って来たのであります。
そして、その間に、マルコは、洗礼者ヨハネが、首をはねられるというエピソードを入れているのであります。
それは、主イエスが、その後どのような道を辿らねばならないのか、その道が神によって定められていることを、暗示しているかのようであります。
さて、主イエスは、弟子たちに、しばらく休みを取るように、寂しい場所へ、人気のない場所へと、自分たちだけで出て行くようにとお命じになります。
もちろん、御自身も一緒に出て行くわけですが、それは、やって来た莉出て行ったりする群衆が多くて、彼らは食事を取るひまもなかったからであります。
弟子たちは、初めての宣教旅行から戻って来て、非常に疲れており、肉体を休める必要があり、主イエスはそのことを十分に察知しておられ、御自分もそうであったように、人気のない所へ行って体を休め、あるいは、父なる神と向かい合って祈る時を必要としていたのであります。
ところが、マルコは一番最初に書かれた福音書の著者らしく、他の福音書には記されていない事情を、生き生きと書き残してくれています。主イエスとって来て、主イエスの一行の行き先に、徒歩で、先に一緒になって駆け付けたというのであります。
それがどこであったかは定めることはできませんが、彼らがひそかに祈る場所を人々は察知していて、舟よりも先に、その地に着くことができたのであります。
そして、主イエスは、出て来られると、彼らが羊飼いのいない羊たちのようであるのをご覧になって、腸が痛むような思いとなられます。これは、神にのみ使われる言葉で、主は人々の有様をご覧になって「憐れまれた」と訳されていますが、ただ同情するというのではなく、共に苦しまれるという意味の言葉が使われているのであります。
そして、主は、多くのことどもを教え始められたと記されているのであります。
そして、時がだいぶたって、弟子たちが、イエスの下にやって来て言うのであります。「時は既に遅くなりました。人々を、あなたが解散して下さって、近くの村落や村里に行かせてください。そうすれば、彼らはそこで食料を手に入れることが出来ましょう」と。
ところが、主は言われます。「あなた方が、彼らに食べることを得させなさい」と。弟子たちは、「私たちが200デナリオンものパンを買ってきて彼らに食べさせよと言われるのですか」と不平を表します。
主イエスは、「どれだけ彼らはパンを持っているのか、あなた方は行きなさい、見て来なさい」と言われます。弟子たちは、行って、それを確認してきて「5つです。それに2匹の魚を」と答えます。それは、13人分の食料に過ぎません。
すると主は、それを取り、天を仰いで、賛美の祈りをしと訳してありますが、これは元の文では「ほめたたえる」あるいは「祝福する」という意味の言葉でありますが、そのようにして祈られた後、それを裂き、弟子たちに与え続けておられたのであります。
そして、弟子たちはそれを彼らに分配し、魚をも同じように彼らに分け与えられるのであります。
以上のような所作を取られる前に、主は人々を組にならせ、あるいはグループごとに、50人、100人ずつ縦の列にして、食べるために、青草の上に、あるいは黄緑の草の上に横になるように弟子たちにそうさせるように命じておかれました。
そして、5つのパンと2匹の魚をそのようにして、与え続けておられたというのであります。そして、人々は、それによってすべての人が食べて、しかも、満腹したというのであります。そして、
残ったパン屑や魚の残りを集めると12籠に一杯になったというのであります。これは、12弟子を暗示し、イスラエルの12部族を暗示し、ここから新しい神の民、教会が生まれることを暗示しているのであります。
さて、今日のこの奇跡は一体どういうことであったのでしょうか。それは、聖餐における主イエスの言葉と所作に近接しています。そこにいた、羊飼いのいない羊どもの魂の飢えを、また、心の満たされない渇きを、主イエスは弟子たちと共に満たすことができたということであります。
確かに、今の世界でも、多くの人々が飢えて、十分な食卓につけずに亡くなっております。しかし、今日の讃美唱、詩編23編が語るように、「主は、私の羊飼い、青草の茂る憩いのみぎわに伴いたもう。」その言葉が、今日の主イエスの5千人への供食を通して実現しているのであります。
私どもも、この渇きと飢えを満たす主のみ業に参加し、関わることができる。5千人の飢えを、主イエスの命令通りに行うことを通して、私たちもまた彼らに食べさせることができるのであります。
人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなた方の思いと心とを、キリスト・イエスにあって守るように。
0 件のコメント:
コメントを投稿