全聖徒主日・聖餐礼拝(2025年11月2日)(緑)
詩編149編1―9節(旧989)
エフェソの信徒への手紙1章11―23節(新352)
ルカによる福音書 19章1―10節(新146)
本日の福音書は「ザアカイ」さんのお話です。聖書絵本や紙芝居として小さな子供にも親しまれているエピソードです。ザアカイという名前は「清い人」とか「正しい人」という意味です。体が小さい彼は、からかわれたりいじめられたりすることもあったでしょう。周りを見返すには金持ちになることだ、と考え、イスラエルを支配しているローマ帝国の手先になることを選びました。ローマが発展していくための税金をイスラエルの同胞から徴収する仕事についたのです。
彼がもしローマの目を誤魔化して同胞から安く徴収する裁量を持ち合わせていれば、仲間は彼を慕ったでしょう。しかしそれがバレて仕舞えば仕事をはく奪され、酷い目に遭わされます。ですからそうならないようにローマに媚び、ローマの後ろ盾があるのを良いことに、同胞から不当に高く取り立て金儲けをしたのです。そして当然ながら同胞から嫌われていきました。
それはザアカイだけではなく徴税人は大抵そんなふうでしたから、当時は「徴税人」といえば神様に嫌われた罪人、死んだら地獄に落ちるしかない大悪党、と言われるようになります。それでも周囲から嫌われようが、地獄行きだと罵られようが、徴税人になろうとするユダヤ人が後をたたなかったのは、ただ真面目に働いても貧困からは抜け出せないほどに社会全体が貧しかったからです。
しかし、人間関係も信仰もそっちのけで経済的に豊かになることだけを求める生き方では、人は決して満たされず、幸せになれないことを神様はご存知でした。そんな人々に救いをもたらすため、イエス様を送られたのです。
イエス様は誠実にその役目を果たされ、社会からはみ出した人々にも愛を注がれました。エリコの町の徴税人であるザアカイも、そうやってイエス様に見出された一人だったのです。
ザアカイは人付き合いをせず、他人に心を閉ざしていましたが、この日に限ってはどうしてもイエス様に会いたくなり、周りから奇異な目で見られることも構わず、いちじく桑の木に登ります。日頃は決してそんなことをしない彼が突拍子もない行動に出た、そこに、すでに神様の招きがあったのです。
イエス様はザアカイが木の上からご自分を見ることをあらかじめご存知でした。そしてザアカイがご自分の頼みを決して断らないことを見抜いておられたように「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われたのです。
ザアカイの家には、イエス様一行が入れるスペースが十分あり、客をもてなす設備も備えられていました。ここにザアカイの矛盾した心が見えます。客人を招き入れる広いスペースをわざわざ作っておきながら、それまで決して人々を招こうとはしなかったのです。
町の人々は、もちろん一度もザアカイの家にはいったことはありません。イエス様一行が招かれていく姿を見て何を感じたでしょうか。彼らは呆気に取られつつも、自分がザアカイにした仕打ちを思ったでしょう。ザアカイがイエス様を見ることができないように、わざと遮った自分達の心の狭さに気付いたでしょうか。ほんの少しでも「ザアカイに悪いことしたなあ」と思ったならば、その心をイエス様はお喜びになり、彼らとザアカイとの関係も変わったかもしれません。
もちろん、ザアカイ自身も悔い改める必要がありました。しかし、彼はすでにイエス様との出会いによって、その切っ掛けを手に入れていました。イエス様の前に悔い改め「今まで騙し取ったものを四倍にして返し、築き上げた財産の半分を貧しい人に施します」と宣言します。彼はその名前の通り、「正しい人」として新しい人生を踏み出したのです。
興味深いことに、ザアカイは「徴税人をやめる」とは言いませんでした。イスラエルがローマに支配されている以上、ザアカイが徴税人を辞めても次の徴税人がやってきて、好き勝手に税を取り立てることでしょう。それではだめだ、とザアカイは思ったのかもしれません。彼は徴税人としてローマからの信頼を得ていました。ですから、あえて徴税人を続け、正しい税金だけを取り立てることでこの町を不正から守ろうとしたのです。
訪れる客もいない豪華な客間で一人ぼっちで富に囲まれ、町の人々から嫌われていたザアカイはもういません。イエス様がザアカイの心に働きかけてくださったので、彼の持つ富は困窮している多くの人に分かち与えられました。そしてザアカイの孤独も癒やされたのです。
さて、ザアカイがイエス様に会いたいという衝動を抑えきれずに木登りをしたように、私たちの人生の中にも「これはイエス様の招きではないだろうか」と強い思いを抱くことがあるはずです。そのチャンスを逃さないでイエス様に出会うことを願う時こそ、私たちが変わる瞬間かもしれません。イエス様の声に素直に従う人は、人生をもう一度やり直して、恵み豊かな神の国を作り上げることが出来るのです。イエス様がこの世においてなさりたいと思っておられたことを引き継ぐとき、ザアカイのように「恵みの相続人」となることができるのです。
もちろん、神様の思いを相続することは簡単ではなく、周りの無理解に苦しむことがありますし、大変な困難が生じることもあります。それでも、人生のどこかのタイミングでイエス様と出会い、この社会、この地域、この場所を、より良い場所にしたい、というイエス様の願いを引き継ぐことは私たちの人生を輝かせてくれるのです。
報告が前後しましたが、10月25日は土曜学校でした
珍しく少ない人数での実施となりましたが
充実した時間を過ごすことができました
完成した作品を掲げての誇らしげな笑顔を
ご覧ください
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