2016年9月15日木曜日

「終わりの日は、始めの日よりよい」(コヘレト7:1-14)

コヘレトの言葉第71節~14節、20160915、英語で聖書を読む会

コヘレトの言葉第71-14

名声は香油にまさる。
死ぬ日は生まれる日にまさる。
弔いの家に行くのは
酒宴の家に行くのにまさる。
そこには人皆の終わりがある。
命あるものよ、心せよ。
悩みは笑いにまさる。
顔が曇るにつれて心は安らぐ。
賢者の心は弔いの家に
愚者の心は快楽の家に。
賢者の叱責を聞くのは
愚者の賛美を聞くのにまさる。
愚者の笑いは鍋の下にはぜる柴の音。
これまた空しい。

賢者さえも、虐げられれば狂い
賄賂をもらえば理性を失う。
事の終わりは始めにまさる。
気位が高いよりも気が長いのがよい。
気短に怒るな。
怒りは愚者の胸に宿るもの。
昔のほうがよかったのはなぜだろうと言うな。
それは賢い問いではない。
知恵は遺産に劣らず良いもの。
日の光を見る者の役に立つ。
知恵の陰に宿れば銀の陰に宿る、というが
知っておくがよい
知恵はその持ち主に命を与える、と。
神の御業を見よ。
神が曲げたものを、誰が直しえようか。
順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ
人が未来について無知であるようにと
神はこの両者を併せ造られた、と。

メッセージ「終わりの日は、始めの日よりよい」(コヘレト71-14

私たちの生の終わりの日、すなわち、死の時のほうが、始まりの日、この世に生を受けて生まれ出た日よりも良いとコヘレトは言う。なぜなら、死によって、その人のありようは確定し、以後移ろうことはなくなるが、誕生した者は、今後どのような経験をするのか予想もつかず、その子の紆余曲折は定まりようもないからだ言う。
愚かな、薄っぺらな笑いよりも、悲しみのほうが、その人をやがて元気付け、あるいは、より深みのある人間とすると言うが、なるほどと思わされる。順調と逆境とを、神は人に与えられるとも言い、それは、その後起こることを、その人が、知りえなくするためであると語る。知恵は、財産に優るともいう。
また、昔のほうが、現在よりよかったのはなぜだろうかと問うなと、戒めている。なぜなら、昔も、今も、将来も、同じことが繰り返されるに過ぎないと、コヘレトは、一見覚めた目で、現実を凝視しているのである。
喪の家に行くのは、歓楽・祝宴の家に赴くよりも、良いという。確かに葬儀場へと赴いて、帰途に着くときの私どもの心は、何か確実なものに包まれているようである。それに比べて、宴会の華やかさは、はかなく、浮かれていて、一種の空しさに襲われることが少なくないのではないか。
コヘレトの、これもまた空しい、つまらないという人間の営みに対する凝視は、しかし、私どもを、本当の生き方へと地味ではあるが、目を覚まさせ、招いてくれているのではないか。



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