2016年9月2日金曜日

「お金をいかに用いるべきか」(コヘレトの言葉第5章10節~20節)

コヘレトの言葉第510節~20節、20160901、英語で聖書を読む会

コヘレトの言葉第510-20

財産が増せば、それを食らう者も増す。
持ち主は眺めているばかりで、何の得もない。
働く者の眠りは快い
  満腹していても、飢えていても。
金持ちは食べ飽きていて眠れない。

太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。
富の管理が悪くて持ち主が損をしている。
下手に使ってその富を失い
息子が生まれても、彼の手には何もない。
人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。
来た時の姿で、行くのだ。
労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
これまた、大いに不幸なことだ。
来た時と同じように、行かざるをえない。
風を追って労苦して、難になろうか。
その一生の間、食べることさえ闇の中。
悩み、患い、怒りは尽きない。

 見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦の結果のすべてを満足することこそ、幸福でよいことだ。それが人の受けるべき分だ。神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。

メッセージ「お金をいかに用いるべきか」(コヘレトの言葉第510節~20節)

 私たちの多くは、もっと給与が増えればいいのに、あるいは、将来の不安を鑑みるとき、その不安を解決する財産が十分にあったらどれほど安心だろうとお金持ちが羨ましくなったりします。
 けれども、コヘレトは、私たちは、神より与えられた分に応じて、精一杯働き、それで得たものによって、家庭で飲み食いし、過ぎ去った自分の過去について悩まされることもなく、神さまが取り計らってくれる導きにゆだねて歩む人こそ幸いであるというのです。
 お金や財産は持ちすぎれば、それをいつ失うのではないかと心配になり、労働者は、自分で得た代価で飲み食いし、安眠できるが、金持ちはごちそうで飽食して、かえって快眠できなくなるというのです。
 そして、お金は追求すればきりがなく、どんどん、もっとほしくなるものであって、安んじることはないと言います。
 ある現在、活躍している作家であり、東大名誉教授でもある方が、自分の貧しかった生い立ちから、現在にまで至った御自分の経験も踏まえて、ある程度の裕福さ、必要なものを買え、一人前の生活ができるほどの豊かさはほしいものであると、その本の中で書いておられました。
 私は、牧師ですが、牧師はあまり豊かなものではありません。将来の心配や、もっと給与があればと思うことがないわけではありません。しかし、基本的には、今日のコヘレトの言葉に従って生きたいと願っている者であります。
 お金をどれほど、有意義に使うかを、2000数百年も前の、コヘレトは、現代にも通じる洞察力で教えています。お金を蓄積し、それを現代の株か何かに賭けて投資して失敗し、子供にも何も残せなかった愚かな人の例を挙げて、それはまた、空しく、風を追うようなことであると断じています。
 現代日本の、先行きは見えないとは言うものの便利で、物が有り余っている社会でどのような経済生活をし、幸せを求めればいいのか。

 コヘレトは、繰り返し、言います。人にとって幸いなのは、神から与えられた分に応じて、精一杯働き、その得たもので、喜んで飲み食いし、妻と子と日々を楽しむことであり、それ以外に人が求めるべき道はないと。

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