2016年7月7日木曜日

「人は一人で生きるのはよくない」(コヘレト4:7-17)

コヘレトの言葉第47-16節(17節)、20160707、英語で聖書を読む会

 コヘレトの言葉4716(~17

わたしは改めて
太陽の下に空しいことがあるのを見た。
ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。
際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。
「自分の魂に快いものを欠いてまで
誰のために労苦するのか」と思いもしない。
これまた空しく、不幸なことだ。

ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。
倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。
三つよりの糸は切れにくい。
貧しくても利口な少年の方が
老いて愚かになり
忠告を入れなくなった王よりも良い。
捕らわれの身分に生まれても王となる者があり
王家に生まれながら、卑しくなる者がある。
太陽の下、命ある者が皆
代わって立ったこの少年に味方するのを
  わたしは見た。
民は限りなく続く。
先立つ世にも、また後に来る代にも
この少年について喜び祝う者はない。
これまた空しく、風を追うようなことだ。

神殿に通う足を慎むがよい。
悪いことをしても自覚しないような愚か者は
供え物をするよりも、聞き従う方がよい。

メッッセージ「人は一人で生きるのはよくない」(コヘレト47-17

コヘレトは、人は一人で生きるのはよくないと、創世記の始めに主なる神が人を造られ、男と女とを造られたとのみ言葉を思い起こさせる言葉を記しています。私たちは物心がついたころから、孤独を感じ、自分は一人ではないかと悩まされる体験をだれしも持つのではないでしょうか。
今日のコヘレトの言葉には、友もなく、兄弟も子供もなく、ただあくせくと働き、自分を楽しませることもなかった男の例話を挙げています。新共同訳では、そんな自分に気づくこともなかったかのように、書かれていますが、英文では、そのような自分に何の意義があるのかと問いを投げ返す言葉となっています。
 世の大部分の人は結婚し、あるいは、家族と共に生きているのは、コヘレトの言葉の正しさを示しています。
 一人よりは、二人が、さらに三人が、心強く、倒れても、もう一人に起こされ、あるいは、旅で攻撃にあっても、二人なら抵抗できることを挙げています。これは、中近東での、遠いところに商売をしようと旅に出る二人を、念頭に書かれています。二人なら、夜の激しい寒さも、共に寝て暖めあうことができます。そして、三つよりの綱は容易にはちぎれないことを、おそらく当時の格言から、コヘレトは引用しています。

 後半では、人の世の移ろいやすさを、コヘレトは洞察しています。若くても賢ければ、年老いて、助言に耳を貸さなくなった王よりも、ましである。また、獄に入れられている少年でも、王にまでなることがあり、しかし、その者も、次の者によって、取って代わられ、益を受けた無数の民衆も、先の王に感謝しようとはしなくなると洞察しています。エジプトでファラオのもとで、最初にまでなったヨセフの物語や、サウル王から、ダビデ王へ、また、その子ソロモンへと受け継がれた王位のことが、コヘレトの頭にあったのでしょうか。いずれにしても、コヘレトは、これらのことを無益であると言い、いずれも、風を追うようなことであると見抜いています。そして、私たちにとって、幸福なのは、日々を楽しみ、働いて、家族とささやかな楽しみを持ち、飲み食いし、分をわきまえて、生きてゆくことだと言います。主イエスを知らされている私たちも、この分を知って、自分に与えられている生涯を精一杯歩む以外にはないのではないでしょうか。アーメン。



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