2016年7月9日土曜日

「神によって義とされて」(ローマ3:21-26)

ローマの信徒への手紙第321-26節、20160708、聖研・祈祷会

 ローマの信徒への手紙第321節~26節 
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。

メッセージ「神によって義とされて」(ローマ321-26

 ローマ118から、320までずっと神の怒りや律法を守れない人間の罪の重さが厳しく記されていました。義人は一人もいない。すべての人が罪を犯して、神の義から逸れてしまっているという暗い、重苦しい使徒パウロの言葉が私たちに迫っていました。
 しかし、今日の個所で、一気に明るい朝の夜明けがやって来たようです。しかし、今や、律法とは関係なしに、しかも律法と預言者たちによって、立証されながら、イエスを、十字架につけることによって、神は罪を罪としてみ子に負わせ、み子を贖いの供え物とされたというのです。贖いというのは、主人が奴隷を買い戻すという意味があり、私たちは罪の捕らわれの囚人となっていましたが、そこから、解放してくださったというのです。
 全人類が、アダムとエヴァ以来、罪を犯し、間違った行いを犯して来ましたが、それを、神はそのご自分の独り子を罪の償いの供え物となさって、十字架の上に罰せられることをなさり、それを通して、神の怒りをなだめることをなさったのです。
 このように、私たち人間の理性や常識では思いもしなかった方法を取って、ご自分のみこの死を通して、私たちを闇から光へと移してくださった。このことを通して、神は御自分を義とされ、その恵みを信じる者をも、義となさったというローマ書の一つの頂点、ローマ書全体の要約、福音の要約のみ言葉がここに与えられているのであります。このような形で、神の栄光を受けるに足りない者となっていた私たちが、それを回復する道を神は備えてくださったのであります。アーメン。



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