聖餐式・復活節第3主日礼拝(2025年5月4日)(白)
使徒言行録9章1―6節(新 229)
ヨハネの黙示録5章11―14節(新458)
ヨハネによる福音書 21章1―19節(新211)
本日はヨハネ福音書の最後の部分を読んでいくわけですが、少し不思議な印象を受けるのではないでしょうか。20章で完結し、「本書の目的」と小見出しの付けられた後書きのような文章も添えてあるのに、21章は「その後」という書き出しで始まって、印象的な物語が記されています。
私たちは漠然と、イエス様が復活されて天に帰られた後、ペンテコステで聖霊なる神が降って来られるまでの期間、すんなりと時が流れ、弟子たちは迷うことなく世界宣教に立ち向かっていった、と考えがちです。しかし本日の福音書にはイエス様が復活された後、弟子たちが迷ったり苦しんだりした様子が描かれています。
この時、ペトロたちはイエス様の宣教活動をどう受け継いでいくか色々考えたあげく、地元に戻って多少なりとも面識のある人々に伝え始めたのかもしれません。地元ですから、ある程度の人には集まってもらえたことでしょう。
しかし人々は民族宗教のユダヤ教があるのに、イエス様の教えを改めて信じることにどれほどの意味があるのか理解できません。イエス様がローマの支配下の元に十字架にかかって死に、復活したことを素直に信じる人はそれほど多くなかったようですし、民衆が何より望んでいた、ローマを追い払ってイスラエルの独立を勝ち取る、ということを成し遂げたわけでもありません。
実際、自分達がガリラヤ湖と呼んでいるこの湖も、ローマ皇帝の名前にちなんでティベリウス湖と呼ぶように強制されており、今の時点では世の中は何一つ変わっていないのです。
ペトロは情熱だけは持ち合わせているのですが、イエス様のように豊かな言葉を駆使して証したり、人々に伝えていくだけの強いカリスマ性を持ち合わせてはおらず、もちろん奇跡も起こせません。そんなペトロがリーダーを務めるこの弟子集団が行う伝道活動は、うまくいきそうもありませんでした。
この日ペトロは「わたしは漁に行く」と仲間に告げ、本当に湖に漁に出かけます。かつてイエス様に「人間をとる漁師になれ」と言われたことなど忘れてしまったかのように、以前の仕事に戻ってしまったかのようでした。
他の弟子たちも「私たちも一緒に行こう」と出かけます。力無い足取りで湖に向かう彼らにとって、イエス様が教えられた様々なことは、ただの理想論に見えてきたのかもしれません。腹が減ればもともと漁師なのですから、魚を獲って食べることはできます。しかし神様の思いや神の国の実現の為に、自分には何ができるのか。もはや何もできないのではないか。自分たちは無力だ。彼らはこの世の現実に縛られてイエス様の教えそのものも見失おうとしていました。これは悪魔に縛られているのと同じでした。
彼らは舟に乗り込み漁を始めましたが、その夜は何もとれず、夜が明けてしまいました。こうなってはもう作業をしても無駄でした。伝道どころか魚一匹獲れない自分たちに嫌気がさした時、そんな自分に声をかけ、弟子にしてくださったイエス様との思い出が頭をよぎったかもしれません。
まさにその時、誰かが岸辺から「子たちよ、何か食べる物があるか」と声をかけたのです。弟子たちは一同そろって「ありません」と答えるのです。本当に何も獲れなかったからです。漁師でありながら、お腹をすかしている人にそう答えるしかない。それも彼らの絶望を深くしていました。
するとその人ははっきりと言いました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」
弟子達は、この人が誰とも分からぬままに素直に従います。その素直な気持ちはイエス様に伝わりました。そしてあの時と同じように、網を引き上げることすらできないほどの魚が網にかかります。この出来事にペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人が何も思い出さないはずはありません。ヨハネはペトロに「主だ」と囁きます。ペトロははイエス様だと確信すると、なんとわざわざ上着をまとって湖に飛び込み、イエス様の元に帰ろうとします。服を着たのは、神様に対して失礼のないようにという「敬服」の思いだったのです。
船の場所から岸までは200ぺキス、つまり100メートルほどで、わざわざ泳ぎにくい格好で泳ぐより、舟を漕いだ方が早かったかもしれません。それでもペトロはそうしないではいられなかったのです。
この後、イエス様がペトロに「私を愛しているか」と問いかける有名な場面が記されていますが、今日は詳しくは触れません。ただ、ペトロの行動そのものがイエス様を愛していることを物語っています。
やがてペンテコステの時が来て、聖霊なる神の力を得たペトロは豊かに語る賜物を獲得していきます。そして教会の土台として、天国への扉を開く鍵として、何よりイエス様のご生涯の生き証人の一人として、宣教の最前線へと飛び出します。ペトロは神様の栄光のために導かれるままに証をし、伝説では逆さ十字架に磔となって殉教したと言われています。
私たちは、今、日本という国の中で何ができるでしょうか。調和こそ何より大切で、自分の主張を通すことは和を乱すわがまま、とまで言われるような国民性の中で、疎んじられても後に引かず宣教に生き、教会を整えていくことは、とても難しいことです。
しかし信仰に生き、イエス様に従うことは、人と違う道に導かれることでもあります。世の中の意見では無駄と切り捨てられ、力のなさに落ち込むこともあります。それでも私達はイエス様の教えに、敬い従いながら、この地で宣教していくのです。それは2000年前に生きたペトロも私たちもなんら変わることはないのです。私たちは機会をとらえて怯まずイエス様の教えを伝え、神様の思いにしたがって歩む宣教の業をなすために、謙虚な気持ちで従ってまいりましょう。
今の牧師館として借りている家は
かつてお茶やお花を教える先生が住んでおらた古民家です
和の庭なので華やかな花はありませんが
新緑が美しく
ここ一週間はドウダンツツジが可愛らしい花を
枝いっぱいに咲かせ続けています
礼拝堂の改修はようやく目処がたち
5月中には引っ越しできそうです
仮の礼拝堂にはいつの間にか荷物がぎっしり
作業はかなり大変ですが
楽しみながら頑張ります
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以前は幼稚園と共通の出入り口でしたが 感染症や不審者への対策などを考えて 教会専用の玄関を作りました 幼稚園は園児の安全を優先し 教会は開かれた場所として それぞれの役割を果たしていければと思っています |
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