2025年5月11日日曜日

「神様に養われる」(日曜日のお話の要約)

復活節第4主日礼拝(2025年5月11日)(白)

使徒言行録9章36―43節(新 231)

ヨハネの黙示録7章9―17節(新460)

ヨハネによる福音書 10章22―30節(新187)


 本日の福音書の箇所は、「イエスは良い羊飼い」というメッセージですが、「99匹の羊を残して、1匹の羊を探し出す」というものとは少し違います。私の名前を呼んで連れ戻してくださるイエス様のお言葉に耳を傾ける私たちはただ甘やかされ、守られるだけの羊であってはならないことが示されています。


 この出来事は冬の時期、神殿奉献記念祭の頃と記されています。これはイスラエルの民にとって大切な祭りで、そもそもの由来は、イエス様が誕生する600年も前に遡ります。紀元前600年ごろ、ユダヤの国はバビロニア帝国との戦争に負け、多くの国民がバビロニアに連れていかれます。これを「バビロン捕囚」といい世界史の教科書にも載っています。捕囚は奴隷とは異なり、有能なものは政府高官として取り立てられましたし、教育や宗教、生活の自由もありました。けれど多くの人々は祖国に帰ることを願い積極的にはバビロニアに溶け込もうとはしませんでした。


 捕囚生活が始まって60年ほど経った頃、バビロニア帝国は新たに台頭してきたペルシャ王国に倒されます。その時ペルシャの王キュロスは、ユダヤの民が祖国に帰ることや、神殿の再建を許可します。しかし神殿を建て直したのも束の間で、やがてギリシャがこの地域を支配するようになり、そこから先はさまざまな権力争いが勃発します。イスラエルは再び戦争に巻き込まれ、せっかく建て直した神殿にはギリシャ神話のゼウス像や異教の祭壇が築かれてしまったのです。


 そのような状況からユダヤ人を救ったのがマカバイオスという人物です。彼はエルサレムを奪還すると、神殿の汚れを清めて主なる神に改めて献げ直しました。それが紀元前164年12月のことで、ユダヤ人たちは、このことを記念して神殿奉献記念祭を行うようになったのです。


 神殿奉献記念祭はこう言った経緯から、非常に政治色の強いもので、人々の心の中に「イスラエルを自由にしてくれるマカバイオスのようなヒーロー、つまりメシアはいつ現れるのか」という思いが最も強くなる時期でもあったのです。


 この時、イエス様は神殿の境内のソロモンの回廊というところを歩いておられました。ユダヤの人々は整えられた神殿で、奉献祭を行っています。しかし、神殿の司祭たちの心の中は神様への信仰よりも、どうやってローマとうまく折り合いをつけるかと言うことばかりでした。イエス様にとって、神殿はもはや空っぽな場所に思われたのでしょう。


 ヨハネはこの時を冬であったと強調します。ユダヤの人々なら神殿奉献記念祭といえばしつこく書かなくとも冬であることを知っています。ここにヨハネのメッセージが込められています。


 イエス様は、神の国の実現の為に、メッセージを送り、私に従いなさいと声をかけてくださり、私達の罪の犠牲になろうとしておられます。その先には天国が備えられているのに、人々はそのお言葉を聞こうとせず、イエス様の命をかけた思いは誰にも届かないのです。まさに季節もイエス様を取り巻く状況も冬のように不毛だったと告げているのです。


 そこへ現れたのはエリートのユダヤ人たちです。「もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」と命令口調です。「イスラエルを自由にしてくれるマカバイオスのようなメシアはいつ現れるのか」と言う必死の思いがそう言わせたのでしょうが、無礼であることに変わりはありません。彼らからは、イエス様を利用して庶民を扇動し、独立運動を展開しようとする思いが透けて見えます。彼らは神の子であるイエス様の本当の想いや導きを聞こうともせず、自分達の欲望や計画にイエス様を従わせようとする思いでいっぱいなのです。


 しかしイエス様は「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とはっきりと示されました。これは単に「無策であれ」とは言っておられません。長いものに巻かれろとも違うのです。ピンチになった時、牙も爪もない羊の戦い方は羊飼いの声に従うというこの一点に尽きると言われているのです。


 イスラエルの山々には、狼の皮というのがあちこちにあるそうです。自分達を襲って来る狼を見つけたら、羊飼いは羊たちを導いて山の頂上に登って陣をとるのです。そして、狼を下に見て、狼の動きが止まったら、狼に向かって一気に山を駆け降りるのです。すると狼たちは羊に蹴られ、踏まれ、ぺっちゃんこになると言うのです。


 それが作戦であり、身を守る術です。逃げるのでもなく、犬死でもなく、知恵や知識を用いて危機から脱出するのです。イエス様に従うものはそれができる、とイエス様はおっしゃっています。


 すなわち、この私達もイエス様の声に従っている限り、知恵を駆使した戦い方で勝利を得ることができるのです。「わたしたちは他の誰でもない、神様に養われていることを忘れない」ことが大切なのです。聖書の学びの中で、単純に優しいだけでいいとか、自分にとって都合の良いことをしてくれるのが愛の証だと思い込んだりせずに、イエス様から神の声を聞き、「我に学べ」というイエス様の教えから導きと養いと守りを覚えましょう。共に神の国に生き、神の声を聞いて訪れる人々を招きいれる者として、共に生かされてまいりましょう。



17日は土曜学校です
リノベーションの終わった礼拝堂で実施することは
かないませんでしたが
幼稚園の遊戯室と園庭を使用して
楽しいひとときを過ごしたいと思います
5月中には引っ越し可能!
待ち遠しいです


たいていの子どもは「宝探し」が好きです
イースターが「たまご探しの行事」になってしまうのは
微妙な気もしますが
きちんとイエス様の十字架のお話も
聞いてくれるので
よしとしましょう(^^;)

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