2025年5月18日日曜日

「新しい掟」(日曜日のお話の要約)

復活節第5主日礼拝(2025年5月18日)(白)

使徒言行録11章1―18節(新 234)

ヨハネの黙示録21章1―6b節(新477)

ヨハネによる福音書 13章31―35節(新195)


 最近のことですが、キリスト教を母体として生まれた経営学や世界社会学や地域社会学が今人気で、ミッションスクール系の大学に行ってキリスト教的な経営観を学ぶ若者もいるそうです。


 キリスト教経営学で学べることは大きく分けて3つ、一つは信頼性の向上です。キリスト教では唯一の神様だけを信じているので、倫理観が高い、その為に、従業員からも顧客からも信頼が高く安定するので経営が安定するのです。


 二つ目は持続可能な社会の実現です。命は限りあるものではなく、永遠だと神様から教えられますから、目先の利益にとらわれず、もっと広い視野で、長い目で社会貢献、環境保護などに取り組むのです。


 三つ目は、グローバルな視野を持っていること。新約聖書の中で、弟子たちが異なる文化背景を持つ人々とのコミュニケーションをしながら宣教を行った姿勢に学ぶことがビジネスの成功につながると言われているのです。こういった傾向について、皆さんはどうお感じになるでしょうか?


 2000年近く前、最初のクリスチャンたちは、神様の示しに従って自分を縛り付けていた古い常識、古い約束から自由になり、イエス様に導かれながら民族を超えて伝道していきました。しかし今、キリスト者である私たちはそう言った自由さから、かけ離れたところにいるような気がしてなりません。本日のヨハネ福音書の聖書箇所には「新しい掟」という小見出しがつけられています。この掟にわたしたちを自由にするヒントがあると信じて、本日も共に聖書に聞いてまいりましょう。


 ヨハネ福音書は4つの福音書の中で最後に書かれたもので、少なくとも西暦60年より後、イエス様が天に帰られてから30年以上は経過していたと言われます。その頃はイエス様から直接教えを受けた弟子達が地中海沿岸の諸地域へ宣教を開始しており、キリスト教がユダヤ人以外の人々へと広まり定着しつつあった時代です。


 やがて、12弟子以外にも、イエス様の教えを直接受けたことがなく、それどころか、かつてはキリスト教の迫害者であったパウロのような人物が回心して使徒となり、強力に宣教を推し進めていきました。


 しかし、やがて迫害が起こります。人生の成功とは権力や経済力を得ることだ、と考える人々にとって、キリストの教えはやっかいです。努力や苦労を重ね、豊かになり、権力を持てるようになっても、キリスト者は「あなただけの力ではない」と言うのです。「神様に感謝を」と説教し、それを無視すると「なんと傲慢な」と冷ややかな目で見るのです。機嫌を損ねた支配者や権力者はキリスト者への迫害を始めます。そうした歴史がローマ時代の歴史にはっきりと残っています。


 ところで、キリスト教はこういった外部からの迫害とは別に、常に内部分裂の危険性を持っていて、信徒の数が増えていかない現実がありました。


 異邦人社会にキリスト教が広まると、当時のギリシャ哲学の影響を強く受けるようになります。ヨハネ福音書の冒頭には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と書かれていますが、これは実はギリシャ文化や哲学の影響を受けている人にイエス様のことをわかってもらおうと考えた末の文章です。


 様々な文化背景を持つ人々に教えるために、キリスト教教理や、キリスト者ならこういう生き方、暮らしをするという考え方をきちんと整理したのです。神様とは「父、御子、御霊の三位一体の神である」という教えもこの段階で示されていたと言われています。


 きちんと学び、共通の理解を深めるのは正しいことですが、ついていけない人も現れてくるものです。能力の差で上下関係が生まれたり、主張が強く、無益な議論を延々として相手を凹ますような人々が「頭が良い」と評価されました。困ったことに、こういった人々は「自分は神の御心を行なっているのだ」と信じ込んでいて、傷ついた人々が群れを離れても「あの人は信仰が弱いから」と決めつけます。


 イエス様の教えが好きだから教会には来るけれど、言い争いは嫌だから、とサッときてサッと帰ってしまう。自分の居場所だけを求めるような人々も生まれてきて、教会はどんどん弱くなってしまうのです。


 一般的に、人間の群れというのは、どれほど小さくとも上下関係ができてしまうもので、誰がリーダーになるかで繁栄もすれば衰退もします。キリストの群れも、こうなってしまったらこの世の集団と少しも変わらりません。しかし、私たちの教会はこの世の仕組みとは違います。それは私たちのリーダーは神の一人子イエス様だけなのだ、と言う信仰です。


 神の子イエス・キリストは、ご自分が十字架にかかることで、栄光がこの世に与えられることを教えられました。イエス様の無惨な死は人々に衝撃を与えます。激しい後悔の思いと共に、一緒にいられる時間をもっと大切にすればよかった、もっと学べばよかった、そして何よりもっと愛すれば良かった、という感情が沸き上がります。人間には愛する心がいつも大切で、イエス様は十字架で亡くなることで「今、共にいる時に愛し合うこと」の大切さを思い起こさせてくれるのです。


 イエス様はご自分を信じるすべての人に、民族、時空を超えて、老若男女すべての人に、「互いに愛し合いなさい」「友という感情を抱きなさい」と、それを新しい掟として与えてくださったのです。


 「互いに愛し合いなさい」も「友であれ」も、互いに性格や賜物の違いを理解した上で尊重し合い、誰か一人に重荷を負わせないためにどうするか考え続け、かつ実行し、互いが居心地良くなるように配慮し合うことで実現します。


 それがキリストの群れの証であり「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」とイエス様がおっしゃったことの意図です。そしてそれこそが、教会の群れに求められる掟であり、基本なのです。




教会のリノベーション終了と引き渡しの日が決まりました

予定が一ヶ月以上伸びて5月30日です

教会専用の玄関も形になってきました

内装も順調に進んでいるようです

6月1日の礼拝から使えそうです

本当に待ち遠しい!



今まで冷房設備のなかった礼拝堂に
エアコンがつきました
真夏の礼拝も熱中症の心配は無くなります
室外機は屋根の上
今は見た目に違和感があるけれど
そのうち慣れるでしょう

昨日は5月の土曜学校でした

4月の土曜学校はイースターの前日

ここでイースターのお祝いをするのはちょっとなあ、と言うことで

一ヶ月伸ばしまして

昨日たまご探しゲームを行いました


諸般の事情で掲載できる写真がないため

読み聞かせに使った絵本の表紙など(^^;)


教科書にも採用されたらしいので

ご存知の方もおられることでしょう


「先生はこの絵本を読んだ時

どことなくイエス様の生涯に似ているなあと思ったんだよ」

とお話ししてから読みました


自分の命を投げ打ってサバンナの動物の子どもたちを救い

一本の木になったエルフ

みんな最後までしっかり聞いてくれました

心に残ってくれると嬉しいです




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