2019年5月5日日曜日

大いなる喜び(お話の要約)

復活後第二主日礼拝・聖餐式(白) (2019年5月5日)
使徒言行録9:1-20 黙示録5:11-14 ルカ24:36-43

 本日の福音書には、イエス様の復活からしばらくが経過した弟子達の様子が記録されています。先週お話しした「エマオの道」の続きの出来事です。
 エマオからクレオパ達が喜び勇んで帰ってきて、使徒達に自分達の体験を話したのは真夜中の頃です。そんな時間に、イエス様がいきなり鍵のかかった部屋に現れて、彼らの真ん中に立たれた、ということになります。
 そのお姿を見た弟子たちは「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思」います。時間が時間ですし、彼らの気持ちはわからないでもありませんが、エマオから喜び勇んで帰ってきたクレオパ達まで怯えているのを見ると、どうなっているんだ、と思ってしまいます。
ともあれ、イエス様が何度弟子達に向かって「私は怒ってなんかいないよ」と言われても、また「あなたがたを以前と変わらず大切に思っているよ」と言われても、なかなか受け止めきれなかったことがわかります。
 そんな彼らに対してイエス様は「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。これは、ヘブライ語で「シャローム」という言葉です。
 このシャロームは元々、「平和」とか「平和があるように」という相手を思う深い意味が込められています。その言葉をイエス様が弟子たちの真ん中に立って言われたのです。
 この挨拶には、もう怯えるな、恐れるな、そしてしっかり私を見なさい、イエス様のそんな願いが込められていたのでしょう。イエス様は怯えている彼らに向かって「私は亡霊ではない」とはっきり宣言され、わざわざ焼き魚を一切れを食べて見せられます。
 イエス様は別にお腹が空いていたわけではありません。ただ「死人なら食べ物を食べたりしないだろう?ほら私は食べているよ、以前と変わらないよ」と証ししてみせるために、わざわざこれをなさったと思われます。

 イエス様は、人々からどんなに痛めつけられても、それが神様の御心に沿うものであるならば、神様は必ず贖ってくださり、奪われた命さえも取り返してくださる、とお教えになりました。御心に従うために全てのものを失っても、それ以上の恵みを与えてくださる、とお示しになったのです。
 そんな思いを込めて食事されるイエス様の様子を見て、弟子達は落ち着きを取り戻したようでした。
 そこでイエス様は、改めて弟子達に語りかけます。まず、ご自分が十字架で亡くなられたこと、そして蘇られたことは、前もって全て聖書に預言されていたことであり、ご自分が以前から何度も弟子達に話しておられたことだと思い出すように命じられます。ご自分は聖書に預言されていたメシア、救い主なのだ、と宣言されるのです。その上で、これから弟子たちにこれから何をして欲しいのかを語られました。
 イエス様が弟子達の裏切りや不甲斐なさを完全に赦し、以前と変わらず愛を注ぎ続けているのと同じように、神様は人間という存在をどんなときも愛しく思っておられるのだ、とお伝えになりました。
 そして、世の中の人々の間違った神様へのイメージ、すなわち神様は厳しく人間を罰する存在だ、と思い込んでいた人々に、それが誤解であることを伝えられました。神様はご自分の元に帰ってくる人々を決して突き放すことはなさいませんし、むしろ喜ばれること、そして罰することなく受け入れてくださる。そういう方なのだと宣べ伝えなさい。イエス様は弟子達にそう教えられたのです。
 弟子たちは、復活して戻ってきてくださったイエス様のお言葉を聞いているうちに、神様がどれくらい本気で人間を愛してくださっているのかを感じ取ったことでしょう。神様の愛を自分たちに伝えるために、イエス様がここまで辛く苦しく、壮絶な体験をなさったのだと知った時、弟子達は大きな感謝と喜びに満たされ、神様とイエス様を褒め称えないではいられなかったことでしょう。
 弟子達はこれらの出来事を目撃証人としてのべ伝えるよう、改めてこの日、イエス様に任命されたのでした。

 神様の国というものは、特定の場所に行けば入れるというわけではありません。もちろんお金でも手に入りませんし、情熱だけで作り上げられるものではありません。必要なのは、愛と信仰を持ち、どんな時も希望を失わない事です。私たちの心にそれがあり続けるなら、私たちが召されたこの飯田のこの場所に神の国を作り上げることは必ずできます。
 「大きな喜び」とは、「それほどまでに神は私たちを愛してくださる」と知ることであり「こんな私をも用いるために招いてくださった」と心で理解することです。それが信仰の喜びとなります。
 私達がこの世を去るその時まで、苦しみも悩みもあり続けることでしょう。しかしどんなどんな時も神が、生きた神であるイエス様が共にいてくださいます。そして、それを共に信じ、祈り、励ましあえる仲間が与えられている。これもまた「大きな喜び」であり、大きな平安なのです。


朝9時30分からの教会学校では
「蛙野カエル」ちゃんが登場しています
神戸時代からの人気キャラクターなのです

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