2020年12月28日月曜日

シメオンの賛歌(日曜日のお話の要約)

 降誕節第一主日礼拝(2020年12月27日)
イザヤ書61章10-11節 ガラテヤ4章7節 ルカ福音書2章25-33節

 ルカによる福音書は、イスラエルはローマ帝国の圧政によりどんどん追い詰められ、最後にはローマとの戦いに敗れて神殿が崩壊した頃書かれたと言われています。著者ルカは、そのような厳しい時代の中でイエス様を育てることになったヨセフとマリアの貧しくとも信仰を大切にする姿を描きました。

 夫婦が神殿に持ってきた捧げ物の鳩は、初子誕生の感謝の捧げ物としては一番ランクの低いものだったのです。これは夫婦の貧しさと神様への忠誠を表すエピソードなのでしょう。

 そんなイエス様一家と神殿で出会ったシメオンは、ユダヤ教の神殿に集い、日毎神様に祈りを捧げる人でした。伝統的な解釈では高齢者であったとされています。経済的に裕福であったかどうかはわかりませんが、「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼の上にとどまっていた。」と書かれています。また「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なないというお告げを聖霊から受けていた」のです。

 シメオンについて書かれている「イスラエルが慰められるのを待ち望み」という言葉には重い意味がありました。こイスラエルというのは交通の要所にあり、古代から何度も侵略を受けました。また同じ土地を争って多民族との諍いが絶えず、北と南に国が分裂し、同じ民族同士の争いもありました。イスラエルはどれほど平安を望んでいたでしょう。


 大抵の人間の心には理想郷的な平和な世界のイメージがあります。現代の心ある人々は人種や国境、貧富や差別もない世界を望むでしょう。しかし中には、自分の国が繁栄すればそれで良いと考える人がいるのも事実です。こうあれば世界はきっと素晴らしい、という理想への思いは一人一人が異なっているのです。ですからその主張がぶつかりあえば、素晴らしいものを目指しているにも関わらず、いつまでたっても世界は平和にならないのです。

 神殿で長い間祈りを捧げてきたシメオンは、様々な人の考えに接し、様々な思惑を耳にし、様々な試練に遭いながら生きてきたのでしょう。だからこそ、神様がこの世界に直接介入してくださり、全てを平定してくださる時「イスラエルが慰められる」という約束に望みを置いたのです。

 シメオンは2000年前のイスラエル人ですから、これまで彼の考えてきた祖国の慰めとは、自国のことだけに限定されていました。しかしイエス様に出会った時、シメオンはそれまでの自分の思いをはるかに超えた、素晴らしい未来を垣間見たのです。彼は言います。「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光です」

 神様の与えてくださる救いは、この幼子によってイスラエルの枠を超えてすべての民族に広がっていくのだ、とシメオンは知ったのです。そして同時に、そのためにこの幼子が通らなければならない苦しみをも理解しました。ですから、シメオンがマリアに告げた言葉は厳しい言葉でした。「この子はイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 この子は約束された神の子だが、人は称賛するばかりでなく、それを信じず敵対する人々が必ず出てくる。神様から与えられた使命は重く、多くの苦しみを伴う。それを見守らなければならないあなたの心は剣で刺し貫かれるほどに激しく痛むだろう。シメオンはそう告げたのです。


 数ヶ月前、天使ガブリエルが彼女の前に突然現れ、受胎告知を行いました。天使は「その子は偉大な人となり、いと高き方の子と呼ばれる」と宣言しました。マリアは必死の思いでそれを受け止めました。ところが、出産の時には飼い葉桶をベビーベットにする有様でした。

 そして今またこの厳しい宣言です。生まれた時から大変な思いをした息子が、大人になっても苦しみに遭遇することを預言されるのです。「はいそうですか」と受け入れられるようなことではなかったでしょう。

 しかし、シメオンは、母親として想像を絶する苦しみを味わうけれど、そこには神様から与えられた深い意味があるのだと伝えたかったのです。

 昨今の伝統的な宗教は、苦しみや苦難について言わなさ過ぎたかもしれません。信じたら幸せになれる、というところばかりを強調しすぎて、いざ苦しみの中に置かれると乗り切る力がなく、信仰なんか何の意味もない、と思わせてしまうのかもしれません。今こうして世の中全体が、出口の見えない苦しみの中にある時、聖書は一貫して、苦難から救い出す神を描いています。世界には苦しみがある、しかしこの苦難の先に神様の愛がある、と伝えるのです。


 本日のシメオンが「安らかにさらせてくださいます」と歌い上げることができたのは、世の中がパッと変化したからではありません。自分を取り巻く現実は何も変わっていないけれど、待ち望んできた救い主が生まれ、その方を我が腕に抱けたことに心から満足したのです。この方こそ、人々とありとあらゆる苦難を共にしつつ、救いに導く方であることを知り、未来に訪れる神の国を垣間見ることができたのです。


 どれほど困難な状況であろうとも、私たちはキリストに繋がっていることで超えていけると確信し、新しく迎える一年も、やはりワンチームとなって、喜びと感謝を捧げつつ、日々の歩みを続けて参りましょう。


会堂と通りの間の細長いスペースに
昨年から花を植えています
今はビオラとクリスマスローズですが
花盛りになるまで寂しいので
ブリキの蛙が道ゆく人にご挨拶

年末年始は雪の予報
この傘で防ぎきれるかな?

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