2020年1月3日金曜日

時が満ちる(元旦礼拝のお話の要約)

元旦聖餐礼拝(白) (2020年1月1日(休・水))
ガラテヤ 4:4-7 ルカによる福音書 2:15-21


 新年あけましておめでとうございます。
 私は昨年4月から、この飯田ルーテル教会に赴任しました。皆さまの名前も十分に覚えられない状態で復活祭を共にお祝いしてから、振り返ればあっという間の出来事でした。

 2020年の大仕事は何と言っても、会堂や園舎の改築、もしくは、改修のための手続きです。必要な書類を提出するのがこの6月の半ば頃に迫っていますので、私たち人々一人一人、十分な話し合いをし、お互いの理解を深めていかなければなりません。
 大変なことですが、そうしなければ後になってああすればよかったこうすればよかった、という後悔が残り、せっかく皆で作り上げたはずのものが愚痴と批判ばかり、ということになりかねません。

 「日本福音ルーテル飯田教会」そして「飯田ルーテル幼稚園」という名前は長い間受け継がれてきた、唯一無二のものです。多くの先達が愛してきたこの名前を、私たちも大切にし、誇りを持って未来に手渡していく必要があります。

 本日の元旦聖餐礼拝で、もう一つ、私たちが大切に心に刻む名前があります。いうまでもなく「イエス」というお名前です。「イエス」という名前は当時のイスラエルでは決して特別な名前ではありません。しかし「神様が救ってくださる」という重要な意味を持っています。

 時折、イエスが名前、キリストが苗字と思われる方がいるようですがそうではありません。イエス様の時代は庶民には名乗るべき苗字がなかったようで、「どこそこのだれだれ」とか「誰の子だれだれ」という言い方をしていました。その言い方をするならイエス様は「ナザレ出身のイエス」であり「ヨセフの子イエス」となります。

 では「キリスト」とは何かというと、一種の肩書きで「救い主」という意味です。そもそもは「神に油注がれた者」という意味で、特別な使命を神様から与えられた人に与えられるものでした。それをイエス様の国の言葉であるヘブライ語でメシヤと言います。
 これをギリシヤ語に翻訳するとキリストとなります。ちょっとややこしいですが、聖書の中では「メシヤ」と書かれることも多いので覚えておいていただければと思います。

 イエス様は「救い主」という肩書きを持ってとこの世に生まれました。神様から、「ご自分の民をその罪から救う」という使命を持ってこの世に来られたのです。
 イエス・キリストご自身が、この使命、この救いのわざがどういうものであるか語っておられる御言葉があります。ヨハネによる福音書の5章24節です。
「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを得、また、裁かれることなく、死からいのちに移っている。」。
 イエス様が救おうとなさっている「ご自分の民」というのは決して特別な人々ではありません。
 イエス様の御ことばを聞き、遣わしてくださった神様を感謝を持って信じるなら、死んだ後も天国において永遠のいのちを与えられ、また生きている間に罪ばかりおかして悔いた者でも「地獄行き」という風に裁かれることは決してない。何という尊い呼び名でしょうか。この名のあるところに集まれることは幸せなのです。

 私たちはこれからさらに信じあい、目の前にある出来事を一つ一つ乗り越えながら共に前進してまいりましょう。 飯田教会と飯田ルーテル幼稚園の、すでに100年を超える歴史を共に恵みとして担えることを喜びとし、この1年の始まりを喜びと感謝を覚えながら歩んで参りましょう。


ちょっとピンボケですが(^^;)
元旦礼拝はオルガニストの皆さんにはお休みいただき
牧師のギターで賛美しました

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