2019年11月26日火曜日

世の終わりにも惑うことなく(日曜のお話の要約)

聖霊降臨後最終主日礼拝(緑) (2019年11月24日)
イザヤ書53:1~6 コリントⅠ15:54~58 ルカ21:5~19

 聖書は世の始まりと終わりについて、はっきりと書き記しています。最初の書である創世記には、神様が6日かけてこの世を創造され、7日目に仕事を完成されて安息なさったとあります。最後の書であるヨハネによる黙示録には、天使が順番に7つのラッパを吹きならすことによって、恐ろしい災厄が引き起こされ、世の終わりが近づいて行く様子が記されているのです。

 何か起きるたびに、そろそろ世の中終わりではないか、と言う噂が流れることがあるのですが、イエス様は私たちに向かって、そういったことに惑わされて大切な人生を浪費するな、と教えられます。
 なるほど、と思いつつ、私たちはどうせ一度限りの人生ならば、成功する人生を歩みたいと願う者です。地道に今を精一杯生きる姿勢はあまり好まれないものです。
 実は聖書に登場するイエス様の弟子たちも、同じ壁にぶつかったことが福音書から見えてきます。
 彼らはイエス様の弟子として、一つの目標と言いますか、野心を持っていました。イエス様は奇跡の力でイスラエルの王様になってくださるに違いない。そうなればイスラエルを我が物顔で牛耳っているローマ帝国を追い払い、ローマの政治家に媚を売っている王様や祭司たちも追い払い、自分たちがその代わりに高い地位につくのだ。そのように考えていたことが、これまでの会話の端々からわかります。

 この日、一行はイスラエル人の誇りである壮麗なエルサレム神殿が見える場所で話をしていたと思われます。その時弟子たちは、この神殿が間も無く特権階級のものではなくなり、素晴らしい神様の宮となるだろうと、うっとりと夢見ていたかもしれません。ところが、そうした弟子たちの思いとは裏腹に、イエス様はこの神殿が間も無く崩壊すると予告なさるのです。
 弟子たちは驚き、「いつ起こるのですか」と問いかけます。そこには、自分が生きているうちは、もしくは元気な内は、そんなことが起こりませんように、と言う願いがあったでしょう。そして、もし神様の住まいである神殿さえも崩壊するなら、本当にこの世の終わりだろうから、その兆候が見えたなら、私は一目散にその場から逃げ出そう、と考えたのかもしれません。
 しかし、イエス様は弟子たちに向かって「惑わされないように気をつけなさい」と教えておられます。これが世の終わりの印だろうか、あれがそうだろうかとパニックになって右往左往するのではなく、たとえ明日突然この世の終わりを迎えても、あなたを受け入れる神の国、天国があることを信じるよう説いておられるのです。

 イエス様はおっしゃいます。「わたしがこの世を救う者だ」というものが現れ、戦争や暴動が起きて、この戦いによってすべての問題が解決すると世間を誘導したり、動員をかけたりすることもあるだろう。しかし、あなたがたはそういうことに惑わされてはいけない、と言われます。また、地震などの天変地異や飢饉や疫病の流行で社会が混乱し、人々の心がざわつく時も、すぐに世の終わりが来るわけでもない、とも言われます。

 とはいえ、本当に世の終わりが来るまでの間、私たちもまた、全ての人と同じように苦難を耐え忍ばなくてはなりません。キリスト者だから苦難に逢わないで済む、と言うわけでもないのです。むしろキリストを信じる者は、正しく生きようとして社会でつまはじきにあったり、無理解に悩まされたり、迫害されたり、身内に疎まれたり、命まで失うこともある。しかし忍耐し続けるように、とはっきりとおっしゃるのです。

 この忍耐、苦難の時代に当たるのが、私たちの生きているこの「今」と言う時です。証の時とも呼ばれ、教会では説教をするようになりました。教会でわたしたちがこうして説教を聞くのも、世の終わりに向けての準備をするためなのです。
 説教を毎週聞き、聖書を学ぶのは、「お前の信じている神様について、何か証をしてみろ」と言われた時の準備でもあるわけです。ただ、前もって理論武装する必要はなく、イエス様を信じる者の心に、神様ご自身が知恵と言葉を授けてくださるから安心していなさい、とイエス様ご自身が約束してくださるのです。

 先週のお話の中でも少し触れましたが、今週の週報には賀川豊彦氏がこの教会のために書いてくださった色紙の写真を載せました。「伊那山峡の若人よ 右に行くな左に傾くな 上に附け そこには天がおまえを待っている」
 私は若人どころかもう年寄りです、とおっしゃるかもしれません。しかし私たちは一人一人、この世の命が終わるまで、イエス様の証をしつつ未来に向かって歩んでいくために召されているのです。その意味では命ある限り誰もが若人なのです。



21日(木)は園庭で焼き芋パーティでした
今まで、畝立てやマルチ張り、植え付け、そして収穫と
牧師夫妻も折に触れて園児たちや保護者の方たちと
一緒に頑張りました
美味しそうでしょう?



園庭にブロックで炉を設置
炉に近づくとものすごい熱気です
(気分はダニエル書3章)


焼けてきた!


熱いよ、熱いよ!
ふ〜ふ〜して食べてください

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