2019年11月15日金曜日

神様からの預かりもの(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第22主日礼拝(緑) (2019年11月10日)
歴代誌上29:10-13 Ⅱテサ2:13-3:5 ルカ19:11-27

 マタイ福音書には有名な「タラントの例え」があります。主人からそれぞれに違う金額を預かった3人が登場します。人は生まれつき異なる才能(タラント)を神様から与えられているけれど、どんなに小さいことでも、神様に示されたなら忠実にやりとげなさい、と言う教えと解釈されます。

 一方、本日読みましたルカ福音書の「ムナの例え」は、状況は似ていますが、ここに出てくる10人は公平に1ムナずつ預かります。1ムナは今のお金にしてだいたい100万円です。計算してみますとタラントンより随分少ない金額であることがわかります。預かったお金が少額であることと、公平である、と言うことから、すでに違うメッセージが込められていることが想像できます。

 この例え話が語られた時、イエス様はエルサレムにかなり近いところまで旅して来ておられます。季節は3月ごろで、十字架にかかられるまで、残りひと月あるかないか、といった時期です。
 人々はイエス様が奇跡の力でイスラエルをローマ帝国から解放し、威張りちらす宗教指導者たちを失脚させ、自由で信仰的な国を取り戻してくださると思っていたことでしょう。しかし、それは民衆の身勝手でせっかちな期待でした。それに気づいたイエス様が語られたのが、本日の「ムナの例え」だったのです。

 実はその場に一緒にいた弟子たちも、イエス様がエルサレムに到着すれば、いよいよ神様が地上に降臨なさって、決定的な素晴らしいことが起こるとワクワクしていました。それに対してイエス様は、神様の国が始まるためには、ご自分は一度この世を去らなければならないとお示しになります。それが「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった」という言葉で示されています。立派な家柄の人とはイエス様ご自身を指しており、地上を離れて神の国に戻られることを表していました。

 つまり、イエス様がこの地上の王となるためには、十字架に掛かって一度死なれ、復活された後、いったん天の国に帰らなければならず、もう一度戻ってこられるまで長い長い不在の時があるのです。
 しかも、ここにはイエス様の敵が登場します。「国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた」と書かれています。これはイスラエルを仕切っている政治家や宗教指導者たちが、イエス様が神の御子であることを否定して、十字架にかけて抹殺しようとすることを例えているのです。
 弟子たちは、このような敵のいるところでイエス様がお帰りになるまで待つことになります。そんな弟子たちをイエス様は10人のしもべに例え、イエス様不在の間、どのように生きるべきかをお教えになったのでした。

 この例えの中で、高貴な人、つまりイエス様は10人のしもべにそれぞれ平等に1ムナずつを渡し「自分が帰ってくるまで、これで商売しなさい」と命じて旅立ちます。そして先ほど言いました通り、1ムナというのは多めに換算して100万円です。商売の元手にするにはちょっと少ないんじゃないかな、とも思います。
 しかし、この例え話の中で、主人が王の位を受けて戻ってきたとき、最初の忠実なしもべは「あなたの1ムナで10ムナ儲けました」と言います。これを直訳すると「あなたの1ムナは10ムナを作りました」となります。イエス様から与えられたムナ自身が新しいムナを生んだかのように言うのです。

 主人を待ちかねていたしもべたちにとって、ムナとはあくまでも「主人から貸し与えられたもの」です。しもべたちは「自分が努力と苦労を重ねて儲けた」とは言いません。主人に対して自分の業績を自慢することなどしないのです。
 では、この例え話の中で、弟子たちに平等に与えられてる「ムナ」とは、何を例えているのでしょうか。
 ムナは、最初はそれほどたくさんには思えないけれど、大きな力を秘めていて、与えられた一人一人の用い方次第で素晴らしい結果を生むものです。

 「ムナ」とはイエス様を信じる者たちに等しく与えられた、神様の御言葉である、と解釈することができるのです。

 イエス様は、ご自分が地上に戻られるまでの間、弟子たちが時がよくても悪くても、神様から与えられたみ言葉を手放さず、宣べ伝えていくことを望まれました。そうすれば素晴らしい結果が待っている、とお伝えになり、そのように生き続けてくれることを強く望まれました。

 ルカ福音書13章には、小さなからし種が空の鳥が巣を作るほどに成長する、と記されています。弟子たち一人一人に与えられた、からし種のようなムナという名の御言葉は、イエス様が昇天されたのちも、弟子たち一人一人が迫害に負けず大切に語り続けました。それは新しい信仰者を誕生させ、新しい教会を生み出していったのです。
 弟子たちは神様のみ言葉が、自分の思いを超えて大きなものを生み出していくことに驚き、これは自分の能力の結果ではない、神様が働いておられるのだと実感することになるのです。
 
 私たちもまた、この例えに登場する10人の僕のように、イエス様が戻ってこられるのを待つ働き人です。イエス様のことを信じない人々が圧倒的に多いこの日本に住み、いつもイエス様の敵に囲まれていると言っても言い過ぎではありません。
 しかし私たちは、イエス様からお預かりした御言葉に励まされながら、大胆に宣べ伝えてまいりましょう。憐れみに満ちた神は、今日も私たちが忠実なしもべであり続けることを望んでおられるのです。

飯田に来て初めての冬がもうすぐそこです
車のタイヤを変えたりストーブを買い足したり
慌ただしく冬支度に追われています

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