2020年10月5日月曜日

奉仕の精神(日曜のお話の要約)

 聖霊降臨後第18主日礼拝(2020年10月4日)

イザヤ書5:1 フィリピ3:13-14 マタイによる福音書21:33-46


 旧約聖書を読みますと、ユダヤ民族のリーダーや王様達が間違いを犯すたび、神様が預言者と呼ばれる人々を遣わし、正しい道に導こうとされる様子が読み取れます。しかし権力の座にある者達はいつの時代も預言者の言葉に耳を貸さず、自分のやり方を押し通そうとし、預言者たちを邪魔者として迫害し続けました。その結果、彼らは大変な目にあい、気には滅びる寸前まで行きます。しかし神様の助けと導きにより、イエス様の時代まで、かろうじて国としての体裁を保ち続けることができていました。

 本日イエス様は、この歴史的事実を踏まえて「ぶどう園と農夫の例え」をお話になりました。


 今回のお話では、神様はイスラエルという国をぶどう園にたとえます。農夫たちとは神様によって選ばれたリーダーであり、神様は彼らに「農園」、すなわちこの国を託したことが描かれています。

 神様が貸し与えてくださった農園は設備が整っており、神様の御心に従って素直に働くなら素晴らしい収穫の得られる所でした。農夫たちは確かによく働いたようで、ぶどうはちゃんと実りました。ところが収穫目前となった時、貸し与えてくれた神様への恩よりも目の前の豊かさに目がくらみ、この土地を自分のものにして、収穫を独り占めしたい、という浅ましい心を起こしたのです。

 そんな場所に僕(預言者)が遣わされますが、農夫たち(ユダヤの権力者)は、主人(神様)から遣わされた彼らを袋叩きにしたり石で打ち殺したりと滅茶苦茶な事をします。ところが主人(神様)は僕(預言者)が何度ひどい目にあわされても、農夫たち(ユダヤの権力者)が悔い改めるのを期待なさいました。最後に「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と送り出したのです。しかしその息子は殺されてまったのです。

 神様から遣わされた「息子」というのは、言うまでも無くイエス様のことです。イエス様はご自分が十字架に架けられることをご承知の上で、このようなお話をされたのです。


 イエス様は、祭司長やファリサイ人達(ユダヤの権力者)に「ぶどう園の主人はこの農夫たちをどうするだろうか」と問いかけます。

 すると彼らは「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すだろう」と答えます。彼らは「農夫たち」が自分であることに、全く気づいていないのです。

 イエス様はこの答えをお聞きになって、彼らの鈍さにため息をつかれたかもしれません。そこで続けて「隅の親石」の話を始めます。これは日本人にはピンと来ないかもしれませんが、ユダヤ人にとって慣れ親しんだ詩篇からの引用なので、祭司長やファリサイ人たちもイエス様のお話が自分たちへの強烈な批判であることを理解します。

 彼らはすぐさまイエス様を捕らえたかったことでしょう。しかし、その場にいた他の群衆はイエス様のことを預言者だと信じて尊敬していました。もし自分たちがイエス様に危害を加えたら、先ほどの「預言者を迫害する」お話を裏付けることになってしまう、そう気づいたファリサイ人たちは、この時は踏みとどまったのでした。

 

 このお話が祭司長やファリサイ人たちへの皮肉で終わっているだけならば、私たちがこのお話を深く読み込む必要はないかもしれません。しかし、聖書の御言葉は常に私たちにも向けられていることを知っておかなければならないのです。

 この「ぶどう園」を「教会」に当てはめてみましょう。教会は神様から貸し与えられた素晴らしい収穫の場です。私たちは豊かな実りを得るために、神様によってこの場に集められました。イエス様のみことばを信じ、神の国を告げ広めるために共に働く人々を増やしていくことが豊かな実りに例えられるでしょう。

 私たちが方向性を誤った時も、一人一人に与えられた聖書を牧師の手ほどきを受けつつ、謙虚に正しく読み、共に心を一つにして祈るなら、預言者の登場を待つまでもなく、神様の御心は伝わってきます。

 私たちが、ここで、神の国を実現していく時、神様など知らない、分からない、深く知らなくてもいいという人も時にはやってきます。ぶどう園に来ると働かされるから嫌だ、と言う人もいるでしょう。

 そういった人々を神様の愛の中に捉えていくには、先に働く私達が正しくみ言葉に仕えてゆくことが何よりも大切です。形だけ礼拝を守るのではなく、私たちの言葉や行いの中に、イエス様との繋がりが見えていなくてはなりません。

 一人一人が努力した結果はすべて神に委ねてまいりましょう。自分はキリストにあって、ぶどう園で働ける労働者の一人であることを謙虚に受け止め、神様を、そしてイエス様を信じる人々が一人でも多く誕生することに、無常の喜びを覚えながら、御心、御ことばを聞いてから、仕える喜び、奉仕の精神を持って、共に歩んで参りましょう。





日に日に秋が深まっていきます
近所の公園では金木犀が花盛り
教会にもその香りが届きます
町中に良い香りが漂っています



…ということで10月の掲示板の中の
レゴ作品は「秋の遠足」
紅葉した山で子供達が遊んでいる様子
のつもりなのですが
ちょっと分かりにくかったかな?

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