2019年7月8日月曜日

イエス・キリスト(日曜礼拝のお話の要約)

聖霊降臨後第4主日礼拝・聖餐式(緑) (2019年7月7日)
ゼカリヤ12:7-10 ガラテヤ 3:23-29 ルカ9:18-26


 本日共に読みましたルカ福音書には『イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。』と書かれています。この出来事はマタイ福音書とマルコ福音書にも記録されて、どちらもガリラヤ湖の北にあフィリポ・カイサリヤ地方の出来事とされています。

 この町の名は、ヘロデ大王の息子が改名したもので、皇帝アウグストゥスを神として礼拝する神殿を建て、ローマ皇帝に自分の名も加えて、フィリポ・カイサリアと名付けたものです。ここには古くから異教の豊穣神バアルも祀られていました。
 イエス様は、そのような異教の土地に弟子たちを連れて来られ、「私は誰か」と問いかけられたのです。ペトロはこの問いに「神からのメシアです」つまり「あなたは救い主キリストです」と答えるのです。

 ペトロが「あなたはメシアです」と言った時、すぐさま、イエス様は弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられます。それは、イエス様をメシア、救い主であると認めたことが他の人々の耳に入れば、ローマの権力に楯突く反乱者の団体とみなされ、大変なことになるのが分かっていたからです。

 この後、イエス様はメシアとはどういう存在なのかについて、改めてお話をなさいました。ペトロ達の思い描くメシアというのは、旧約聖書の時代から預言されてきた英雄的存在のことであり、武力を持ってイスラエルを力強く導き、解放する王といったイメージだったからです。
 イエス様は、ご自分は武力ではなく、神様を信じ従って福音の力で世界を変えていくために地上に来られたのだということ、そのためには、長老や祭司長から迫害され、十字架の上で命を落とし、三日目に復活する必要がある、とごご計画を打ち明けられます。
 マタイ福音書とマルコ福音書では、驚いたペトロがイエス様の身を案じ「そんなことがあってはなりません」とイエス様を諌め始めたことを記し、逆にイエス様から「引き下がれ、サタン」という強いお言葉で叱責されたことをはっきり記録しています。

 しかしのちになって、聖霊なる神に導かれたペトロ達は、イエス様が教えてくださった一つ一つの意味をしっかりと理解し、イエス様が神であることを地中海沿岸の人々に宣教して行きます。
 初めのうち、地中海沿岸の人々は、犯罪人として十字架にかかって命を落とした男を神と信じ、その上その人物が死から蘇ったと信じている弟子達を見て、とんでもなく愚かだと思ったことでしょう。嘲りを込めて他宗教の人々が付けたあだ名が「キリスト者」、「クリスチャン」だったのです。
 ですから、「私はクリスチャンです」というのは「私はキリストに結び付けられていて、命を落としてもこの方を救い主と信じる大バカものです」という意味とも言えるでしょう。

 「イエス・キリスト」という名を口にするたびに、私達は、このイエス様こそ救い主だと信仰を言い表し、そこで神のキリストを礼拝するのです。日本という国は、日曜の朝、教会に集うことに理解のある社会とは言えません。しかしそれを辛い迫害とだけ捉えずに、誇りを持って耐え忍び、勇気を持ってキリストに結び付けられていることを証ししてまいりましょう。


説教題を掲示している掲示版の中に
ブロックで「ルター博士と仲間たち」を作って入れてみました



幼稚園の保護者の方から「楽しくなりましたね」と
声をかけていただきました

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