2016年10月20日木曜日

「私どもはいかに生きるべきか」(コヘレト10:1-20)

コヘレトの言葉第101節~20節、20161020、英語で聖書を読む会

コヘレトの言葉第101-20

 死んだ蝿は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。
 僅かな愚行は知恵や名誉より高くつく。
 賢者の心は右へ、愚者の心は左へ。
 愚者は道行くときすら愚かで
 だれにでも自分は愚者だと言いふらす。
 主人の気持ちがあなたに対してたかぶっても
 その場を離れるな。
 落ち着けば、大きな過ちも見逃してもらえる。
 太陽の下に、災難なことがあるのを見た。
 君主の誤りで
 愚者が甚だしく高められるかと思えば
 金持ちが身を低くして座す。
 奴隷が馬に乗って行くかと思えば
 君候が奴隷のように徒歩で行く。

 落とし穴を掘る者は自らそこに落ち
 石垣を破る者は蛇にかまれる。
 石を切り出す者は石に傷つき
 木を割る者は木の難に遭う。
 なまった斧を研いでおけば力が要らない。
 知恵を備えておけば利益がある。

 呪術師には何の利益もない。
 賢者の口の言葉は恵み。
 愚者の唇は彼自身を呑み込む。
 愚者はたわ言をもって口を開き
 うわ言をもって口を閉ざす。
 愚者は口数が多い。
 未来のことはだれにも分からない。
 死後どうなるのか、誰が教えてくれよう。
 愚者は労苦してみたところで疲れるだけだ。
 都に行く道さえ知らないのだから。

 いかに不幸なことか
 王が召し使いのようで
 役人らが朝から食い散らしている国よ。
 いかに幸いなことか
 王が高貴な生まれで
 役人らがしかるべきときに食事をし
   決して酔わず、力に満ちている国よ。

 両手が垂れていれば家は漏り
 両腕が怠惰なら梁は落ちる。
 食事をするのは笑うため。
 酒は人生を楽しむため。
 銀はすべてにこたえてくれる。
 親友に向かってすら王を呪うな。
 寝室ですら金持ちを呪うな。
 空の鳥がその声を伝え
 翼あるものがその言葉を告げる。



メッセージ「私どもはいかに生きるべきか」(コヘレト101-20

今日の個所、コヘレトの言葉第10章は、複雑というか、知恵の言葉を、コヘレトは、ここにまとめて記録しているように思われる。賢者と愚か者、王と奴隷、不幸な国と、幸せな国といった類で、思いつくままに、ここにコヘレトは、ていねいに収録しているのであろうか。
しかし、今日の記事も、やはり、コヘレトらしい気風が感じられるのである。箴言の著者や、ヨブ記のヨブの思想、信仰とは一味違う、コヘレトらしさを、ここでも私どもは味わうことができる。
今から、2000、数100年も前のコヘレトがここに記してる言葉は、今もなお、力を失ってはいないのである。
蛇の呪術師が、先に蛇にかまれては、呪術師としての報酬をえることはできない。木こりが、斧の頭が間違ってはずれて、死や大きな傷害をもたらす危険がある。
あるいは、私は、奴隷が馬の背にまたがって行くのを見、王が徒歩で歩いていくのを見たという。知恵は、愚かさに、もちろんまさるのであるが、必ずしも知恵が思い通りに勝ち取っていくわけでもないと言う。
今日の記事でも、コヘレトは、人は死後どうなるのかだれも分からないと語り、与えられた仕事を精一杯こつこつとこなしていくのが幸いだと言っているのである。怠け者の屋根は漏り、うなだれた手で無気力に過ごす愚かさに警鐘を鳴らしている。
そして、食べ物は力を与え、ぶどう酒は、その人の顔を輝かせると言い、宴会も日中の決められた時に、セルフ・コントロールを働かせながら楽しむが良いと、労働と楽しみのバランスをとることを奨めているのである。私どもはともすると偏りすぎる傾向があるのであるが、コヘレトは長い経験から得た知恵、あるいはおそらく、箴言など旧約聖書の知恵から独自の生き方を、黙想しながら体得していったのではないか。
私どももまた、み言葉、聖書の言葉に深く思いを凝らしながら、調和のとれた信仰生活を歩んでいきたいものである。

           アーメン   

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