2016年6月3日金曜日

「あなたの敵のために祈りなさい」(ルカ6:27-36)

ルカによる福音書第627-36節、2016529日(日)、聖霊降臨後第2主日(典礼色―緑―)創世記第453-15節、コリントの信徒への手紙一第1412-20節、讃美唱103(詩編第1031-13節)

ルカによる福音書第627節~36

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛しあなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


説教「あなたの敵のために祈りなさい」(ルカ627-36

先日は、オバマ氏が71年ぶりに、アメリカ大統領として始めて、被爆地広島を訪問しました。しかし、第二次世界大戦のような大過に至るのは、何も民族間の憎悪や争いだけによるのではなく、家庭内での夫婦の不和や親しいものの間でも起こりうる憎しみが積もりに積もって、その結果起こるものであることを、考えなければなりません。
さて、今日の第二の朗読では、コリントの信徒への手紙一から、み言葉が与えられました。ここで、使徒パウロは、一万語の異言を語るよりは、理性で理解でき、聞いている人を高めうる5つの預言の言葉を、私は語りたいと語っています。
 そのような福音の言葉として、今日の主イエスのみ言葉、ルカ福音書6章の27節から36節より聞いていきたいと思います。
 今日の福音は、「しかし、あなた方、聞いている者たちに、私は言っておく」と始まります。他の誰でもない、私ども、主イエスのお言葉を信じる者に向けて、今日のメッセージは語りかけられている。そして、「あなた方の敵どもを、あなた方は愛しなさい。あなた方を憎むものに良くし、あなた方を呪う者たちを良く言い、あなた方を侮辱する者-これは、私たちを虐待し酷使する者という激しい言葉ですがーそのようなものたちのために祈りなさい」というのであります。
 これは、私たちにできることでありましょうか。それは、いかなる場合にも、そうすべきなのでありましょうか。
 主イエスは、続けて、「あなたの頬を打つ者には、他の頬をも差し出しなさい、あなたの上着を取り上げる者には、下着をも避けてはならない、あなたの持ち物を要求するすべての者に、それを与え続けなさい、あなたが金を貸した者から何かを期待して、取り戻そうとするな」と言われます。
 そして、「あなたが人間たちにしてほしい通りに、人間たちに同じようにしなさい」といういわゆる黄金律がここに記されているのであります。
 そして、あなた方を愛する者をあなた方が愛したとしても、あるいは、あなた方に良くしてくれる者に良くしたとしても、あなた方にどんな恵みがあるのか、それは、罪人たちも同じことをしていると言われます。
 恵みという言葉は、好意、あるいは感謝という意味もあります。ここでは感謝という意味に取れると思います。
 さらに、「あなた方は、絶望しないで、当てにしないで借りようとする者に貸しなさい」と主は言われます。
 ユダヤの社会では、利息を同胞から取ることを、旧約聖書においては禁じていました。ですから、何も取り戻すことを期待しないで、支払ってくれることを見込まないで、親切として、同胞の危機の救済として、求める者に貸すのでなければ、どんな報いがあなた方にあろうかと言われるのであります。
 そして再び、「あなた方の敵を愛し、憎む者たちに良くしてやり、絶望しないで貸すように」と言われ、「そのときには、あなた方には大いなる報いがあり、それによって、あなた方は、いと高き方の子となるであろう。あなた方の父は、感謝しない者にも、悪人にも、親切であるからである」と言われ、「あなた方の天の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」と言われます。
 マタイ福音書では、「あなた方の天の父は、正しい人にも、悪人にも太陽を昇らせ、雨を降らせられる。だから、あなた方も天の父が完全であるように、完全な者となりなさい」と言われています。
 完全であるということは、憐れみ深い者であるということです。
 敵を愛する、あなた方を呪う者を祝福して、すなわち、私たちを侮辱する者のために祈るということは可能でありましょうか。また、実際それはどういうことでありましょうか。
 その私たちの相手が、異常な病人のような場合にその相手方が危害を加えてくるのをそのままにしておくべきなのでしょうか。
 私にはそれができずに、侮辱に対して侮辱を返し、無抵抗では過ごせなかった苦い経験があります。
今日の第一の朗読の創世記に出てくるヨセフ物語の一節では、ヨセフは、自分をエジプトへと売った兄弟たちとの再会に際して、自分の招待を知らせ、まず、兄弟たちの犯した罪を思い起こさせ、手順を踏んでから、最後に兄たちを心から赦し、共に抱き合って涙を流すという和解の感動的な一場面が鮮やかに記されています。
 天の父は完全であられ、すべての人に親切で憐れみ深くあられ、後に十字架におかかりになり、その上で、父よ、彼らの罪を赦してください、彼らは何をしているか知らないからですと言われる主イエスを通して、敵を赦すことを実現してくださいました。
 そこに、初めて生まれる新しい生き方を、私たちは知らされています。
 赦すことのできなかった私にとっての相手との出来事も、今では過去の一つの思い出にしか過ぎなくなりました。そして、主イエスのお言葉に従ってのみ、新しい生き方の地平が開かれることを、私は知っております。「あなた方の敵を愛しなさい。あなた方を侮辱する者のために、祈りなさい。」そして、決して、悪に対して悪を返すのではなく、絶望することなく、求める者に貸し与えなさい。そのとき、あなた方の天において大いなる報いがあり、あなた方はいと高き方の子らとなるという主イエスのみ言葉に従うしか、真の平安も解決もないことを、今は心安らかに信じることができるのであります。

 人知では到底測り知ることのできない神の平安が、キリスト・イエスにあって、あなた方の心と思いとを守るように。アーメン。


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