2026年4月19日日曜日

「エマオのキリスト」(日曜日のお話の要約)

復活節第3主日礼拝(2026年4月19日)(白)

使徒言行録 2:14a&22~32(新215) 1ペトロ 1: 3~ 9(新428)

ルカによる福音書 24:13~35(新)


 私たちの幼稚園と教会は、10年前から国の基準に合わせた耐震工事事業を始めました。私は7年前に名古屋からこちらに赴任してから関わることになりました。


 私は新人牧師として神戸市長田区の神戸教会に赴任した時、震災からすでに4年目でした。しかし三宮などの繁華街は復興していたものの、一歩住宅街に入るとまだ更地が目立ち、屋根にはブルーシートがかかっていました。


 しかし神戸教会を取り巻く人たちは好奇心旺盛で温かく、どうすれば震災に強い建物や街や人間関係が作れるか、という課題に共に懸命に取り組みました。その経験が活かされたことを神様に感謝しています。


 飯田では、コロナ禍や戦争の影響による資材の高騰など、さまざまな問題がありましたが、幼稚園は無事新築され、昨年の6月には会堂の耐震工事とリノベーションが終了しました。昨年の11月の終わりには園児を迎え入れてアドベントの合同礼拝を始めることができました。先日は卒園式と入園式を行いました。これから、ここでどんな物語が繰り広げられているいくか楽しみです。


 さて、本日お読みした聖書には、イエス様が復活された後、それをなかなか信じられなかった二人の弟子が登場します。イエス様が十字架にかかってから三日目のことです。お墓に行った女性の弟子たちから復活のイエス様にお会いした、と聞いたものの、どうしたら良いかわからず、エルサレム近隣のエマオという村を目指していました。おそらく二人のどちらかがエマオの出身だったのでしょう。


 神様の御子であったイエス様が、なぜ残酷な十字架刑で命を落としたのかといえば、当時の政治が複雑に絡んでいます。


 イエス様がこの世にお生まれになった目的は、絶望や失望だらけの闇の世界に光を与えることでした。イエス様を慕う人々は日に日に増え、たくさんの弟子ができました。弟子たちにとってイエス様は太陽のような存在でした。イエス様はこの世界に生きる人々に救いと希望を与えるために、数多くの奇跡を行い、寄り添い、愛を注がれました。


 ところがイエス様が有名になり始めると、周囲は勝手に「新しい王様だ」とか「革命家だ」と盛り上がり、担ぎ上げようとしました。その一方、社会の実権を握っていた人々はイエス様が邪魔になり「イエスは神を冒涜して治安を乱す悪人だ」と罪をでっち上げ、ついに十字架にかけて殺してしまったのです。


 まさかそんなことになると思っていなかった弟子たちは、自分も同じように逮捕されるのではないかと恐れ、逃げ出したり隠れ家に閉じこもったりしました。この二人の弟子もまた、追手に怯えながらも、「復活されたってほんとかなあ」「いや、そんなことは信じられない」などと堂々巡りの会話をしながらエマオ村を目指していたのです。


 そんな二人に近づいてきたのはイエス様ご本人でした。しかし聖書には「二人の目は遮られていてイエスだとはわからなかった」と記されています。復活などあり得ない、と思うあまり、イエス様を認めることができなかったのでしょうか。

 しかしイエス様は「歩きながらやりとりしているその話は何のことですか」と穏やかに問いかけます。聞いた二人はイエス様が十字架にかかったという大事件も知らないのか、と驚きますが、旅人から重ねて「どんなことですか」と問いかけられ、自分達の抱えた葛藤や悲しみや疑いの思いを、謎の旅人に向かって語ったのです。


 状況を考えると、彼らはイエス様の仲間だとバレるのはまずかったかもしれません。それでも語らずにはいられない安心感と優しい雰囲気をイエス様がお持ちだったのです。


 結果として、二人の弟子は自然と「イエス様は復活されたのだ」という喜びの結論へと導かれていきます。イエス様は決して「私がイエスだ!」と名乗ったりしていません。ただ、彼らの中にある信仰に働きかけ、もう一度弟子としてやり直す力を引き出してくださったのです。


 イエス様がよく、優れた教育者とか比類なきカウンセラーと評されるのはこのお力によります。相手の言葉に耳を傾け、訂正すべきところは静かに訂正し、正しい結論に導いてくださるのです。

 私たちがイエス様に学ぶことは数えきれないほどありますが、日々現場にいる時のその心には、子ども達の言葉に耳を傾けることが大切です。その対話の中に、実はイエス様が神様が共にいてくださるのです。


 大人である私たちは受けてきた教育と経験によって「正解」を知っていますが、子どもにとっては全てが初めての体験です。友達とのやり取りや、初めてする運動、上手くいかなくて、泣いたり、怒ったりする光景が毎日繰り広げられています。


 そうした日々の中で、私たちが強引に子ども達を正解に導こうとしても無理があります。そんな時、イエス様ご自身が私たちと子ども達の間を歩いておられることを知り、教師自身が安心感をいただけることが、キリスト教保育の特長でしょう。私たちは誰ひとり完璧ではありませんが、どんな時も、イエス様に祈ることで、ここは神様によって建てられた場所だ、という思いに立ち返ることができます。みなさんが神様の平和に心を委ねる時、子どもたちにも保護者の方々にも平和の心が広がっていくのです。


 最後になりますが、改めて、日々この園で、そして教会学校で、子ども達の隣りを歩み続けている先生方に心からの感謝を申し上げます。


 皆さんのその尊い働きを、神様は決して見過ごされません。皆さんが子ども達にパンを分け与えるように愛を注ぐ時、神様もまた、皆さんの心に新しい命のパンを与えてくださいます。どうぞ、一人で背負わないでください。イエス様と共に神が共におられます。そして、この教会も、私も、皆さんと共に歩みます。



この4月から、朝比奈は山梨県の甲府教会と兼牧を

することになりました。

甲府教会は残念ながら無牧となりましたが

土曜日の午前11時から、週替わりで複数の牧師が

礼拝をいたします

朝比奈は第3週の土曜日、礼拝と役員会を担当

他の土曜日は東京方面から他の牧師先生が

行くことになっています


飯田からは高速道路を使って片道2時間半ほど

今日は良いお天気で、富士山が見えました





さて飯田教会の周辺ではさまざまな花が一気に咲き始めました


戦後に飯田市内を襲った大火
復興のために中学生たちが大人の反対を押し切って
りんご並木を作りました
今でもその伝統は東中学に受け継がれています


りんご並木近くの公園では
藤の花が咲いています
白藤も良いものですね

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