2026年4月12日日曜日

「イエス様とトマス」(日曜日のお話の要約)

復活節第2主日礼拝(2026年4月12日)(白)

使徒言行録 2:14a&22~32(新215) 1ペトロ 1: 3~ 9(新428)

ヨハネによる福音書 20:19~31(新210)


 毎週月曜日の午前中は、在園児のための合同礼拝が行われています。幼稚園の先生から「今日は進級したばかりの子どもが初めて参加する礼拝です。子ども達に復活について教えてあげてください。」とリクエストされました。


 生まれてから3年、4年位の幼い子どもに「復活」について教える。「死ぬ」ということも、よく分からない子どもに「復活」のお話をするのは至難の業です。とはいえ、わたしなりにコツを掴んできまして、いきなり「復活」について話をすることはやめ、イエス様とはどういう方なのかということからお話しをすると、みんなが真剣に聞いてくれるのです。


 こども達一人一人と目を合わせて「みんなのことを本当に大事にしてくれて、困った時には助けてくれて、間違ったことをしたときには叱ってくれる人が死んでしまったら、どうする」と聞いてみたのです。


 病気の時は、抱きかかえて病院に連れて行き、転んで怪我をしたら痛くなくなるまで手当をしてくれて、大丈夫、大丈夫といってくれる方が、死んでしまったら?この言葉に子ども達は半泣きです。3年、4年しか生きていなくても、子どもは子どもなりに自分が愛を受けて育ってきたことは分かっているのです。いままで悪いことをしてしまったり、怒られてしまったことを、今からはしないようにとするから生き返って欲しい、とまで言ってくれました。すごい感受性だなあと思いました。


 幼い子どもでも自分は愛を受けて育ってきた、と理解できるように、2000年前のユダヤの人々もイエス様という方は、虐げられた者たちに心からの愛を注いでくださる方だと信じ、イエス様を慕いました。


 ところが、一部の人たちは、イエス様に革命家とか武力的に強い王様だとか、勝手に理想像を重ねており、イエス様の穏やかな姿に何か違うなあ、と思い始めます。権力者たちはそこにつけ込んで、イエス様を逮捕し、不当な裁判にかけて、十字架の上で殺してしまったのです。


 イエス様を信じていた人は、愛の教えも大きな力の前では無力なのかと絶望を抱きます。そして、イエス様を十字架に押し上げて殺した大きな闇の力から、なんとか逃れて自分の命を守ろうとしました。しかし、みなさんもご存知の通り、イエス様は三日後に復活なさったのです。


 本日読みました福音書は、イエス様の弟子の一人「トマス」の物語です。イエス様には12人の忠実な弟子たちがおり、トマスもその一人です。しかし12弟子のうち、ユダはイエス様を裏切った後、自殺してしまいます。残された11人の弟子たちは、自分達もイエス様と同じように捉えられて死刑になるのではないかと恐れ、閉じこもっていました。


 ところがイエス様は復活なさるとすぐ、弟子たちの隠れ家に来てくだださいました。しっかり戸締りされた部屋へ不思議なお力を使って入って来られたのです。弟子たちは驚きと喜びに包まれました。


 しかしなぜかトマスはそこにいませんでした。隠れ家に戻ったトマスは、他の弟子たちが見違えるように明るい顔で「イエス様が復活された」と語るのを聞きます。トマスは混乱し、「イエス様の釘の跡に指を入れるまで信じない」と乱暴な言葉を口走ってしまいます。


 この描写が一人歩きして、彼はよく「疑り深いトマス」と呼ばれますが、トマスが復活をすんなり信じられないのはもっともなことです。トマスはイエス様の掲げた愛の教えが無惨に踏み躙られたのを見ました。イエス様の教えを引き継ぎたい、という思いがどこかに残っていたとしても、そんな力は出て来なかったのです。


 トマスは「イエス様が復活したのが本当だとしても、なぜわざわざ自分がいないときに隠れ家に来られたのだろう」と、仲間はずれにされたような、悲しさと怒りを覚えたのでしょう。


 しかし、もちろんイエス様ご自身はトマスに意地悪をしたわけではありません。イエス様がなさることには全て理由があります。イエス様はこれから先、いつまでもが弟子たちと共にいられるわけではありませんから、「見なくても復活を信じることができる」という信仰を授けようとされたのです。


 トマスが悶々と過ごして8日後、イエス様は再び弟子たちの隠れ家を訪れました。鍵のかかった扉を通って入って来られたことも前回と同じです。そして今度はトマスもそこにいました。イエス様はトマスに向かって、ご自分の傷に触れるようおっしゃいます。それは8日前トマスの「釘跡に指を入れ、脇腹の傷に入れなければ信じられない」という暴言をちゃんと聞いておられたことを表しています。


 この瞬間、トマスは悟ります。イエス様は自分が駄々っ子のように「見てない、会ってない、だから信じられない」と喚いていた時も、本当はすぐそばで見守ってくださり、自分を導くために最良のタイミングを計画しておられた、とわかったのです。ですからトマスはイエス様の傷跡に触れることなく「我が主、我が神」と信仰を言い表しました。


 するとイエス様はトマスに「見ないのに信じる人は、幸いである」と言われました。このメッセージは、トマスに向けられたのと同時に、イエス様が天に帰られたあとも、今に至る2000年の間に信仰に導かれたすべてのクリスチャンに向けられた、尊い御言葉となりました。


 「疑いから確信へ」。まず疑いから始めることは誠実なプロセスです。揺るがない信仰を持つために、神様が与えてくださった恵みです。復活を信じるとは、理屈ではなく、聖書を通してイエス様の愛に触れた時、イエス様が神様であり、十字架からの復活は決しておとぎ話ではない、と染み入るようにわかってくるのです。


 教会は、神様がご計画された者たちの巡り合いの場でもあります。あらゆる理屈を超えて、トマスが「私の主、私の神」と告白したように、私たちも力強い信仰を告白してまいりましょう。


昨日は土曜学校でした

一週間遅れのイースターをみんなでお祝いです

保護者の方に協力していただいて

園庭にゆで卵を隠し

エッグハントを楽しみました


エッグハントでゆでたまごをゲットした後は
木製の小さなウサギに色をつけました


D君のウサギは鮮やかな黄色
本人とお揃いだね

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