2026年1月25日日曜日

「宣教の業」(日曜日のお話の要約)

顕現後第3主日礼拝(2026年1月25日(日)(緑))
イザヤ書8章23―9章3節(旧1073)
Ⅰコリントの信徒への手紙 1章10-18節(新299)
マタイによる福音書 4章12―23節(新5)

 本日はマタイ福音書から聞いて参ります。マタイはイエス様の12弟子の一人で、生粋のユダヤ人ですが、彼は祖国ユダヤを裏切り、ローマのために税金を徴収する仕事をしていました。そんな彼がイエス様に救われてからは「どんな過去を持っていようとも、イエス様を信じるならば再生できる」と信じ、その希望を福音書に綴りました。


 マタイ福音書は冒頭に長々と系図が書かれているので敬遠されがちです。しかしその意図は、系図に象徴される、神につながる長い歴史を持つユダヤの国が、これから先、未来へと存続するには、しっかりした信仰の土台を持つ人々がどうしても必要だ、という確信です。そして、ヨハネの洗礼の出来事はその始まりなのだ、と考えました。


 洗礼者ヨハネはヘロデ王に捕らえられたため、ヨルダン川で民衆に洗礼を授ける人はいなくなってしまいます。しかしマタイは、ヨハネと入れ替わりで登場したイエス様こそ、旧約聖書に預言された約束の救い主なのだ、と熱く記しています。


 マタイ福音書によれば、イエス様はヨハネが捉えられた後、首都エルサレムから遠く離れたガリラヤ地方に拠点を移します。そこで人々を集め、家庭的な集まりを作り、共に旅をし、体験を通して弟子の育成を始められたのです。


 そしてイエス様は弟子たちを連れてガリラヤ中を回ってお話し、奇跡を行い、大勢の群衆に慕われるようになります。マタイ福音書では、イエス様の語られたお話を「山上の教え」、以前は「山上の垂訓」と呼ばれていましたが、イエス様の大切な教えをまとめて記しています。


 みなさんもご存じのように、マタイによる福音書の山上の教えは「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と始まっています。この「貧しさ」とは、「自分には満たすことのできない足りなさがある」と自覚し、だからこそ「他者に助けをもとめられる人」のことであり、「満たされることに満足するのではなく、助けられることに喜びと感謝を表す人」です。


 ですから、心の貧しい人物とは、「私は助けなしには生きていけない存在である」と分かっていて、素直に「助けてください」口にし、神様に後押しされながら自分の思いを伝えられる人のことを言うのです。


 自分の足りなさや弱さを素直に認め、必要な時、人に助けを求めることができる資質は人間関係で大切なことで、友人関係や一つの組織、ひいては国を作っていく上で重要です。


 自分が正しい、自分はなんでもできる、と思い込んでなんでもワンマンにやっていこうとするのは危険なことなのです。自分の欲望を正当化して、虚勢を張って強さを演出し、他者に圧力をかけて奪い取ろうとするのは、強いのではなく、弱さを誤魔化す浅ましさにすぎません。


 人間の心を知りぬいているイエス様は、「あなた方は苦しみや罪を抱えながらでも、なによりも神様を信じて、正義と愛、清らかさと平和を求めて生きるように」と人々を励ましました。そのような生き方ができる人こそ幸せなのだと宣教したのでした。


 イエス様の教えは、競争社会や格差社会、弱肉強食のような社会の中では非現実的で弱々しく聞こえたかも知れません。けれどもイエス様のもとに集まってきた人々はイエス様の言葉に希望を見出しました。


 一人一人は弱く、税金の高さやローマの横暴による生きにくさ、病いや障害による差別に苦しんでいました。自分の力ではどうすることもできない、苦しみや悲しみを抱えた人々の心に、イエス様の教えは勇気と信仰を与え、手に手をとって世界を変えていく希望を与えたのです。


 やがて、イスラエルはローマには歯向かったことで潰され、滅びていきます。信仰の中心であったはずの神殿も跡形もなく破壊されました。しかしイエス様の教えの言葉は決して滅びませんでした。


 イスラエルを叩き潰したはずのローマ帝国の中で、受け継がれた御言葉の種は人々の心に根を張り、生き続けました。やがてローマ帝国そのものが危機に陥った時、皇帝自らイエス様の教えを国作りの中心に据え、キリスト教国家となっていくという大逆転が起きるのです。


 パレスチナの片隅でユダヤ教に迫害されながらも確実に育まれて行ったキリスト教が、名実ともにローマの国教となったのは西暦392年、テオドシウス帝の時代です。この出来事はヨーロッパ全土に、そして世界全体を大きく変えていくのです。


 これはマタイから見れば、遥か未来の出来事でした。もちろんマタイは後に何が起こるか具体的に知っていたわけではありません。しかし、神様への信仰を持った人々によって、苦難の時にも揺るがない国が出来上がる、という確信は確かに現実のものとなったのです。


 マタイはイエス様に見出され、「わたしについてきなさい」と言われた時、立ち上がって従ったと記しています。ここで彼は「罪に死んだ私は復活してイエス様に従った」と表明しているのです。


 21世紀になって、科学は急速に進歩し、人々はさまざまな社会問題を解決し、分断をなくし、輝かしい未来がやってくると信じていました。しかし、現実には経済力を持った大国の横暴はますますひどくなり、小さな国々は自衛のためと称して武装する道を選び始め、世界に恐れが広がっています。キリスト教国と言われている国でさえ、イエス様の教えは絵に描いた餅になっているような有様です。


 このような混乱の時代、争いの只中にあっても、決して諦めず「宣教の業」を次の世代へ、未来へとつなげるために、今を大切にして、神と共に、主イエスと共に、ひたむきに歩みを進めて参りましょう。



JPCZ、何の略か、なかなか覚えられません

「日本海寒帯気団収束帯」と言われても

「日本海」以外ほぼ馴染みがない言葉(^^;)

冬の日本海側で大雪をもたらす

帯状に連なる活発な雪雲のことだそうです


他県に住む人からの年賀状には

「飯田は今頃雪景色でしょうか」と書かれていますが

南信州は実はあまり雪は降りません

ただひたすら気温が下がり、凍ります

でも今回は流石の南信もJPCZの影響で

かなり雪が降っています


お読みくださっている皆様の地域はいかがですか?

豪雪地帯の方は雪下ろしなどくれぐれもお気をつけください

雪に慣れていない方は、なんと言っても

転倒に注意してくださいね


教会の花壇に飾ってある陶器のカエル
見た目あまりに寒そうなので
マフラーを巻いたのですが
雪と共に凍ってしまい、ますます寒そうです



早朝の園庭はうっすら雪化粧です

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