2023年8月20日日曜日

「カナンの女の信仰」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第12主日礼拝(2023年8月20日)
イザヤ書56章6-8節(1143) 
ローマの信徒への手紙11章29-32節(291)
マタイによる福音書 15章21-28節(30)

 本日の福音書の個所は、一人の女性が信仰によって娘の病気を癒していただく出来事です。まずこの話のひとつ前、ユダヤ教のファリサイ派や律法学者がわざわざエルサレムからガリラヤ地方までやってきて、イエス様や弟子たちに議論を仕掛けた、という出来事を見ておきましょう。


 ファリサイ派や律法学者が指摘したのは「イエス様の弟子たちは食事の前に手を洗っていないのは律法違反」ということでした。しかし、これはもともと衛生についての意識が非常に低かった時代に、正しい生活習慣を与えるための教えでした。それをファリサイ派たちが長い年月の間に宗教儀式のレベルに引き上げ民衆を厳しく指導していたのでした。


 この福音書を記録したマタイは、かつて徴税人という社会から軽蔑される仕事をしておりファリサイ派や律法学者から差別されていました。しかしイエス様の弟子となって学ぶうち、祭司やファリサイ人たちの間違いに気づいていったのです。


 ここに登場する「カナンの女」は、かつてのマタイ以上に祭司やファリサイ人にとってはゴミクズのような存在でした。外国人である彼女は「神様から愛されることなど絶対にない」と思われる存在だったのです。


 その女性の信仰の物語が、イエス様とユダヤ教指導者との問答の次に記されていることに福音記者のこだわりがあるように思えます。このカナンの女性の振舞こそがキリスト者の模範だ、とマタイは記録しておきたかったのでしょう。


 「カナン」という名称は現在のパレスチナ地方を表す古い言葉です。創世記でアブラハムが神様から「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束してくださった土地がカナンの地でした。そしてモーセたちがエジプトを脱出した時、カナン地方を神様がくださった理想郷と信じて旅の目的地に定めました。


 そこは確かに豊かな土地でしたが、カナン人をはじめとして様々な民族が自分達の宗教を信じて生活していました。しかしイスラエル人たちは「ここは神様が自分達に約束してくださった土地だ」と信じ、戦いを繰り返しながら、カナンに住む民族と土地を支配していったのです。


 と言っても、カナン人は野蛮人というわけではなく、さまざまな民族と交易する商売上手な人々で、ダゴンという神を信じてその神殿も作っていたという記録があります。確かに本日の聖書箇所を読む限り、この女性には教養があったように思えます。


 彼女はカナン人としての宗教を捨て「娘を癒せるのはイエス様だけだ」と信じ「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫び続けたのです。この必死の態度は、イエス様たちに詰まらないことで難癖をつける律法学者やファリサイ派との態度とは正反対でした。


 ところが、イエス様は彼女の必死の叫びを無視しけます。根負けした弟子たちは彼女を追い払うようイエス様に願い出ます。するとイエス様は弟子に対し「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」、つまり「イスラエル人以外は癒すことはできない」とはっきりおっしゃいます。


 この時、カナンの女はイエス様が自分の存在に気づいて下さっていることに力を得たのでしょう、叫ぶのをやめてイエス様の前にひれ伏し「主よ」と呼びかけました。彼女は最初からイエス様のことを「ダビデの子よ」呼んでいました。「ダビデの子」とはイスラエル人が「救い主」と信じた相手に呼びかける言葉です。同じイスラエル人である律法学者たちがイエス様を否定したのに対して、この女性は「あなたこそイスラエルの救い主です」と尊敬を込めて呼びかけたのです。


 しかしイエス様はさらに「子供のパンをとって小犬にやってはいけない」と、カナン人の彼女を小犬と呼び、娘を癒す気はないともう一度強調されます。それでも彼女はイエス様が本当はそんな小さい方ではないことにすでに気がついていました。自分はイスラエル人に比べれば取るに足らない存在かもしれないけれど、イエス様の恵みは自分の娘にも及ぶだけの無限の豊かさがあると見抜いていたのです。


 だからこそ大胆に救いを確信し「小犬も食卓から落ちるパン屑はいただきます」つまり「神様の恵みは食卓からこぼれ落ちるほど限りなくありますよね」と切り返します。彼女の信仰と知性を感じ取ったイエス様はもはや否定することもなく「あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」とおっしゃり、その時彼女の娘の病はいやされたのでした。


 多くのイスラエル人たちが自分達こそ神様に選ばれた民族であると踏ん反り返り、他の民族を見下して傲慢に振る舞っている間に、イエス様は密かに救いの次の段階への準備をしておられたのです。


 「神様の前に謙遜になって素直に訴える信仰こそ大切だ」という教えは、神様のご予定より少し早くこの女性に与えられましたが、やがてそれはイエス様が天国にお帰りになった後、弟子たちの時代になって、世界中に広がって行ったのです。


 私たちはさまざまな価値観や教えが混在する国に住んでいます。今の時代、公にキリスト教を迫害する人々は少ないとはいえ、日曜礼拝に出席し続けようとすれば、ご近所や友人、家族との付き合いを断らなければならないこともあります。


 そのような困難の中にあるとき、本日のカナンの女性の信仰と、彼女がイエス様から与えていただいた救いを思い出してまいりましょう。ダビデの子、救い主なるイエス様に何かをお願いするのに迷う必要はありません。心の内に湧き上がる「神様助けてください」という願いを素直に言い表し、平安をいただいて歩んでまいりましょう。


次の土曜学校の工作は
1センチ角のガラスタイルを使ったコースターを考えました
1時間半では目地材を入れることはできないので
ネット上の作品例を参考に樹脂粘土を詰めてみることに…
もちろん出来上がったコースターには耐水性はないので
雰囲気を楽しむだけになりそうですが(^^;)

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