2021年8月23日月曜日

聖なる弟子たち(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第13主日礼拝(2021年8月22日)

詩編34編16-23節 ヨハネによる福音書 6章66-69節


 本日読みました福音書の箇所は、ヨハネによる福音書6章のまとめと言えるところです。イエス様の教えを聞きたいと5千人を超える人々が集まり、空腹では可哀そうだとイエス様自らがパンを与えます。その後、イエス様はご自分のことを「天から降ってきたパンである」と言われ、それを巡って議論がはじまります。「私の肉を食べ、私の血を飲むものは永遠の命を得る」というお言葉を、そこにいる誰一人正しく理解できず、結局イエス様の弟子集団の中からも、かなりの数が離れてゆくという事態が引き起こされます。


 その後イエス様は12弟子に「あなたがたも離れて行きたいか」とお尋ねになりました。これは離れていくことを勧めるのではなく「あなたがたは私から離れることはしないだろう。あなたがたは、自身でたとえ離れてしまったとしても、私はあなたを離すことはしない」という強い意味が込められギリシャ語の言い回しです。

 これを聞いてシモン・ペトロは「主よ、わたしたちは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と答えます。これは信仰告白の言葉です。


 他の3つの福音書でもペトロは「あなたは、メシアです。」と信仰告白しています。ただ、その場所はフィリポ・カイサリアという場所であったと強調して書かれており、信仰告白が行われた場所が重要であるという印象を受けます。なぜなら、フィリポ・カイサリアという土地は、皇帝を神として祀り、皇帝に忠誠を尽くすことの象徴のような所です。そのような場所で、ペトロは「ローマ皇帝など神ではない、イエス様こそ神様です」と力強く信仰告白したことに強調点が置かれました。


 しかしヨハネ福音書は視点が違います。この出来事はカファルナウムで起きていますが、文章の流れでは場所はそれほど重要でないように思えます。それよりも、多くの人が、イエス様から離れ去っていくにもかかわらず、12弟子を代表してペトロが信仰告白をしている、ということに注目する必要があります。


 ペトロは誰よりも先に「イエス様が神の子である」と信仰告白をします。これについてマタイ福音書16章ではイエス様から「あなたは幸いだ」と褒めていただき、「あなたに天国の鍵を授ける」とまで言っていただきます。ところがそのすぐ後、イエス様が十字架の死と復活のことをお話になると、ペトロはイエス様を諌めようとします。そのため今度は「サタン、引き下がれ」と、叱られてしまいます。イエス様から離れないと言ったかと思えば、命惜しさから「あんな奴は知らない」と言って、後で大泣きしたこともあります。福音書から見えるペトロは、素朴な信仰を持つ親分肌の親しみやすい人物ですが、イエス様のお言葉をしっかり理解していたとは言えず、で褒められたり怒られたりします。


 こうしたペトロの言動や人生は、クリスチャンの典型的な例を示すために、神様の導きによってあえて詳しく聖書に刻まれたのではないか、と思うのです。

 教会内部でよくあることなのですが、自分が教会の役員に選ばれ「他でもないあなたが纏めなければ誰も教会の人々をまとめることができない」などとと言われることがあります。


 聖書日課にもあった例ですが、自分が教会役員になった時は熱心に教会に通い、牧師の指示にも従わないほどに、良かれと思ったことを一生懸命にするのですが、一旦、役員から外れると、新しく選ばれた方の意見にことごとく逆らい、最大限の嫌がらせをする方がいた、ということです。これはルーテル教会だけでなく、程度の差はあれ、様々な教会で見られる状況のようです。

 それはキリスト教会が誕生した頃から牧者たちの頭を悩ませて来た問題であり、福音記者ヨハネが属していた教会でも、起こっていた出来事だったのです。


 新約聖書に「ヨハネの手紙1、2、3」があります。この著者が福音記者ヨハネと同一であるかどうかは分かりませんが、おそらく近い人物であったろうと思われます。そのヨハネの手紙の第二には、子ども達の信仰教育を婦人達にお願いしています。当時、男子は強い男性になれるよう教育する考え方が一般的だったはずです。そのような中で愛を教え、神の国を引き継ぎ、世界を愛で満たして欲しいという願いは特殊なものだでしょう。優しい男などいざという時、兵隊として役に立たない、と思われた時代です。しかしそれが神の御心であると確信する著者の思いが行間に溢れています。


 今、私たちの信仰の共同体は、教会の建て直しという明るい目標に向かって歩んでいますが、世の中全体は苦難の時代に突入したように思えます。世界に蔓延した感染症は、変異変異を繰り返し、特効薬が出ない限り、なすすべなしの状態になりつつあります。

 私たちの役割は、そうした世の中に抗いながら、神様の望まれる御国を現実のものとするために、全身全霊を用いることです。損得や自己名誉や、自分がどう思われるのかも脇において、イエス様の為にと歩んでゆく、そこに聖なる者イエス様に続くものとして、聖なる弟子達として歩む道が生まれるのです。


 その歩みは誤解されることも多く、悩むことも多いでしょう。時には、他の目から見れば、明らかな失敗と誤解され揶揄されることもあるでしょう。一番弟子のペトロがそうであったように、クリスチャンとしてうまくいったと思えば大失敗して自己嫌悪に陥る、そんなことを繰り返すかもしれません。しかし、この世で評価されなくても、私たちは神様の目、イエス様の目から見れば、この世の中からわざわざご自分が選び、招き、導いてくださる聖なる弟子たちに変わりはないのです。




昨日は初めてのzoom礼拝でした。

今まではSkypeを利用していましたが

参加人数が限られるので

zoomに切り替えた次第です


現在、礼拝堂に冷房がなく、健康被害が出そうな上

精密機器が動かなくなるトラブルが続出し

幼稚園の保育室をお借りして礼拝している現状です

使用後の消毒にも最新の注意を払います


飯田でも感染者数が増えていますので流石に限界を感じ

役員会決定で「今は集まることを避けよう」ということにしました

予定では牧師、奏楽者、代表役員だけで配信を行う予定でした


しかし御多分に洩れず我が教会も高齢者が多いので

うまくzoomに参加できず四苦八苦

最初からあきらめる方も多く

礼拝の途中「どうやっても見られないので来てしまいました!」と

教会に駆け込んでくる方も


大変な時代ですが

ここは全力で取り組み、共に乗り切りましょう

次週もzoom礼拝です



8月いっぱいはゆり組の部屋からお届けします

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