2020年5月11日月曜日

天の国の住まい(日曜日のお話の要約)

復活節第5主日礼拝(2020年5月10日)
ヨハネによる福音書 14:1-7
 本日の福音書には「心を騒がせるな」「信じなさい」という言葉が、何度も出てきます。この言葉はイエス様が十字架に掛かる前、最後の晩餐の席上で弟子たちに語られました。
 これまでの3年半、弟子たちはイエス様と共に様々な苦難を乗り越えてきました。仕事も故郷を捨てて、旅から旅へ宣教して回る新しい生活に飛び込んだ彼らは、イエス様と共にあれば大抵のことは乗り越えられる事を体験を通して知りました。
 イエス様の教えと奇跡の力をみた民衆も、ローマに虐げられているイスラエルを再び自由にしてくれるリーダーはこの人かもしれないと期待し始めましたし、弟子たちもイエス様の元でイスラエルの大臣になることを思い描いていました。

 彼らは、自覚はしていなくても、イエス様を押し上げることで自分も高い地位につこうとしていたのです。しかしそれはイエス様を利用する、神様を利用しようとする心の芽生えに他なりませんでした。

 「イエス様を利用する」という発想は「神様を自分の都合で動かそうとする」といことと同じで、神様への裏切りの始まりです。自分の願いや期待を叶えてくれない神様は神様じゃない、と思うようになってしまうのです。もちろん神様は、イエス様を信じる人々に豊かな恵みを与えることを望まれましたが、それは彼らの刹那的な望みを叶えるという意味ではありませんでした。仮に生きている間だけ欲望を満たしてやっても、それは限定的な恵みでしかありません。
 イエス様は、弟子たちに、「自分の願いを叶えてくれるのが良い神様」というイメージを、決して抱かせたくはなかったのです。
 神様がお与えになる恵みとは、神と共に歩もうとしている人々を永遠に変わることのない楽園、神の国にお招きになることでした。人はこの世の命を終えた後、その国に入ることができると信じてほしい、そう願っておられたのです。そしてイエス様は、ご自分が神様の国に至る道そのそのものであると、お教えになりました。

 この食事が終わって数時間ののちには、「私は道である」と言われたその方が、捕らえられ、強盗達と並んで十字架につけられるという、惨めな最期が迫っています。しかし、イエス様はそれを覚悟した上で、弟子たちを真剣な眼差しで見つめながら語られました。
 あなたがたは、人の力に寄らず、自分の成し遂げた行為にもよらず、守ってきた掟やルールにもよらず、神様の力によって、イエス様を信じ、生きている。この一点に揺らぐことなく、天の国があること、その住まいがすでに与えられていることに安心していなさい、と教えられ、迷ったり心を騒がせたりせず、一度信じたイエス様への信仰を保ち続けることを望まれたのです。目には見えなくても、神の国は自分と共にあるのだと確信して、これから起きる事を耐えなさい、と言われたのです。

 ところで、「心を騒がせるな」というイエス様の御言葉を、ギリシャ語から訳しますと、「心が騒がせられるな」という受け身の形で記されていることがわかります。人の心の動きには外からの力が強く影響しています。外からの力によって動揺し、なぜ、このようなことが起こったのか、こんなことが起こるなんて、本当に神様がおられるのだろうか、という風に心が傾きます。
 特に大切な人の死を経験したり、自分の命が脅かされたりしますと、その悲しみと苦しみに我を忘れ、天国なんてない、神様なんていない、と嘆き悲しみます。
 これはイエス様の弟子たちも経験したことでした。弟子たちにとって、かけがえのない存在であるイエス様が十字架に架けられて死に、自分たちにも命の危険が迫っている。その恐ろしい現実に打ちのめされ、一度は閉じこもった彼らでしたが、蘇ったイエス様の力強い証を受けて、天国の存在を信じ、立ち直ることができました。

 死が迫るような出来事があっても、それによって死ぬことになったとしても、神様を信じること、イエス様を信じることを、何があっても止めてはいけないというイエス様の命令を、自分自身のこととして受け止め直し、新たな歩みを始めることができたのです。
 私たちは今、外からの力で心がザワザワと乱れることの多い生活を送っています。こんな時だからこそ、いつにも増して強く神を信じ、世の中に溢れている不安な雑音に心を乱されることなく、イエス様を信じていくことが大切なのです。


教会の隣に空き地があります
園児がときおり先生に引率されて
虫取りに来たりするので
定期的に草刈りをしていますが
なかなか追いつかなくなってきました

ムラサキツメクサは昨年秋に
近くの畦道から頂戴してきたもの
可愛らしい花を咲かせ始めました


ヒメジョオンも一斉に咲き始めました
どこにでもある雑草ですが
江戸時代末期に観賞用として輸入されたものが野生化したそうで
そう思ってみれば可愛らしいかな…とそのままに
しておくことにしました

※上記の植物はハルジオンではないかとの指摘を受け
改めて調べたところ、茎が中空で蕾がうなだれる
などの特徴から、やはりハルジオンのようです
失礼しました



一月前は草刈りも楽でしたが
暑さとともにかなり大変になってきました

1 件のコメント:

  1. いつもパソコンで教会のホームページを拝見していますが、スマホの画面で拝見できるとより身近に感じられます。忙しい毎日の隙間の時間に見ると言ったら失礼かもしれませんが、そうすることで、神様から離れないでいられると思います。弱い私を神様が、この方法も使ってみなさい、と呼びかけて下さったように思います。
    牧師先生、次々と新しいメディアを使って福音を伝えて下さってありがとうございます。草刈り頑張って下さい。

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