2016年5月18日水曜日

「主イエスと共に歩むために」(ルカ19:28-48)

ルカ福音書第1928-48節、2016320日、枝の主日聖餐礼拝(典礼色―紫―)、ゼカリヤ書第99-10節、フィリピの信徒への手紙第26-11節、讃美唱24/1(詩編第241-6節)

ルカによる福音書第1928-48
 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
 「主の名によって来られる方、王に、
 祝福があるように。
 天には平和、
 いと高きところには栄光。」
 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
  それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。
 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話しに聞き入っていたからである。

 説教「主イエスと共に歩むために」(ルカ1928-48

 池上彰さんという方は、毎日新聞の論説委員をも担っているジャーナリストであります。かつてNHK教員テレビで子供向けの小学生新聞といった番組で長らく、子供たちとも世界や、日本社会を少しでもよく知るために、その番組の中心を担って取り組まれていたのを思い出します。
 その人が、分かりやすく、毎日新聞で、世界の動向について、キリスト教がようやく西方教会の代表であるフランスシコ法王と東方教会の正教会のトップが、キューバで分裂以来始めて、会談をし仲直りをするという紹介記事を書いていました。
 その中で、そもそも、キリスト教というのは、ナザレのイエスが十字架刑にかけられて、なくなった後になって、弟子たちが、イエスこそ、救世主であったことに気づき、弟子たちが広めたのが、キリスト教であると、紹介していました。
 この言い方は、ある面では、客観的で、分かりやすく、間違いとは必ずしも言えませんが、そのように単純なものではないのであります。
 それは、旧約聖書に約束され、預言者たちによって預言されていた救い主メシアが、主イエスのであり、主が神の独り子であったにもかかわらず、人となられて、飼い葉おけでマリアとヨセフのもとにお生まれになり、神の国を宣教し、その1年から3年ののちに、エルサレムに十字架におかかりになるために、旅をされ、ユダヤ教の指導者や、時の権力者、ポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇られ、今も父の右に座しておられるお方であるとの信仰に根ざしているのであります。
 さて、今日は、いよいよ受難週に入った日曜日、枝の主日となりました。長かったレントの最後の主日に与えられている福音は、ルカ福音書1918以下であります。しかし、その個所が19章の終わりまで、長く読まれる点が、アドベント第1主日とは、少し異なっています。
 これは、主イエスのご受難、十字架に、更にその後の主イエスの御復活と昇天へと、このあと、すぐつながっていく記事として与えられているからであります。
 今日の第1朗読も、第2朗読も、主イエスのエルサレム入城と主のご受難と死に関わる、それに相応しい個所が与えられています。すなわち、まことの王であるお方が、子ろばに乗ってお出でになる、そして、その方は心低き、謙られた王としてエルサレムにお入りになるのであります。
 また、レントの間、福音の朗読前に歌われてきましたように、第2の朗読では、キリスト賛歌の部分が選ばれており、私たちの主は、己を低くして死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、み旨に従われたとの個所が読まれたのであります。
 いずれも、今日の福音、ルカ1928-48の記事につながっている。すなわち、私の、そして、あなたのために、主イエスは今日のふるまい、又お言葉を語っておられるのであります。
 ルカ951からは、エルサレムで待ち受けている十字架を目指して、「旅空を歩むイエス」として記されています。
 また、ルカ福音書は、神殿から始まり神殿で終わっております。私たちの礼拝が正されなければならないのであります。
 そして、今日の記事は、「主イエスはこのように語られてから」と始まっています。このような話とは、すぐ前の、「ムナの譬え」のことです。10人の僕に1ムナ、100ドラクメ、100日分の当時の賃金に当たる額を預けて、ある高貴な人が遠いところへ旅に出られる。それは、終わりの日に再びお出でになられる主イエスのことを指しているのであります。
一人ひとりが、主イエスの弟子として、1ムナずつ預けられている。それは、主から受けているみ言葉であると言えましょう。私たちはそれをどう生かすのか。しかし、その人が王位に就くのを望まなかった市民たちがいた。それは、エルサレムで待ち受けているファリサイ派の者たちや、主イエスを拒む者たちを指しています。
  その者たちをどうするのかと、主イエスはここに示されています。
 主イエスは、こうして、オリーブ山に向かって近づかれると、二人を使いに出し、まだ誰も乗ったことのない、つながれている子ろばをといて、引いて来させるために行かせます。
 彼が指示したとおりに事は運んでいく。「主がお入用になる」とつながれた子ろばを引いてくる。ぶどうの木につながれた子ろばと創世記に出てくる記事の実現であり、また、ゼカリヤ書98の柔和でへりくだった、子ろばに乗ってお出でになる方であり、その足もとに服が敷かれて王位に就くとの旧約記事に出てくることによって、示されている、王としてのキリストの預言の成就であります。
 さらには、このお方がエルサレムの都が見えたときに、涙を流され、あなたへの訪れの日を知らなかったエルサレムのために、エレミヤのように泣かれるのであります。
 イエスの宣教によって、神の救いが来たことを、あなたたちが知っていたならと嘆かれるのであります。
 エルサレムの弟子たちからなる大勢が皆、歓呼の叫び声を上げ始めます。「主のみなによってこられる方、王に祝福があるように。天には平和、いと高きところに神の栄光があるように」と。彼らは知らずして、この時起ころうとしていた出来事をほめたたえ、主がなさった力あるみ業を賛美していたのであります。
 主イエスはまもなく、十字架に上げられ、苦しまれ、殺され、死んで陰府にくだり、三日目に死人のうちからよみがえられ、天ののぼり父なる神の右の座に疲れるのであります。その救いの成就を、期せずして弟子たちは歌っていたのであります。
 クリスマスに、ベツレヘムのまぶねの中でお生まれになった喜び、地における平和ではもはやなく、天での平和の喜びを、弟子たちが歌っていたのであります。
 それをやめさせようとしたファリサイ派に向かって、今度は主イエスは、彼らが黙れば石が叫び出すであろうと、それを拒まれないのであります。
 そして、エルサレム神殿の崩壊を預言し、また、最後に、エルサレム神殿の宮清めをなさり、エルサレム神殿こそは、すべての人の祈りの家と呼ばれようとのイザヤ書の預言をあげられ、神殿をあるべきものへとただそうとされる。
 私たちは、この日の主イエスの出来事を思い返しながら、今日から今日から受難週に入っていくのであります。

 祈りましょう。

 天の父なる神様。
 あなたの御用のために仕える僕とならせてください。主イエスの十字架の死を見上げつつ、そのあとに来る主のご復活の秘儀を悟る心の目を開いてください。わたしのために、あなたのために、主が嘆かれ、苦しまれ、お進みになる十字架の道を、今年もまた深く知ることができますように。そして、あなたから預かっているみ言葉を地に空しく埋めておくことがありませんように。そして、次週の復活祭の礼拝を喜びと感謝を持って迎えることができ、一日一日の戦い、苦しみ、また罪との戦いに打ち勝っていくことができまうように助けて下さい。キリストのみ名によって。

           アーメン。

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