2026年9月20日日曜日

「様々な苦労」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第17主日礼拝(2026年9月20日)(緑)

ヨナ書 3:10~4:11 (旧1447)   フィリピ 1:21~30 (新362) 

マタイによる福音書20:1~16(新38)


 今日の福音書の「ぶどう園の労働者のたとえ」は、真面目で誠実なクリスチャンであればあるだけ共感しにくいお話だと言われています。実際、私の知人のクリスチャンが「この話はわからない」とぼやくのを聞いたことがあります。


 「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った」とイエス様のお話が始まります。主人が出かけたのは日雇い労働者が職を求めて集まる「寄せ場」のようなところだったのでしょう。


 主人は1日につき1デナリオン支払う約束をして労働者達を自分のぶどう園に送ります。1デナリオンは当時の労働者の1日分として標準の給料ですから、彼らは納得して出かけて行きました。


 主人はその後、何度も寄せ場に出かけては、人を雇い入れます。朝の9時、昼の12時、夕方の3時、そしてほとんどの仕事が終わろうかという夕方5時にもまた出かけて、誰からも雇われず、一日中立ち尽くしていた人々に声をかけてぶどう園に行かせたのです。


 やがて労働時間が終わり、主人は監督に、最後に来たものから順に支払うように命じます。監督は主人に言われた通り、まず夕方5時ごろに来た人々に1デナリオンずつ支払います。順番に支払いを終え、最初に雇われた人の番がきます。しかし彼らが受け取ったのも同じ1デナリオンでした。


 早朝から働いた人々は、「遅く来た彼らが1デナリオンもらえるなら、自分はもっともらって良いはずだ」と、主人に不満をぶつけます。 しかし主人は彼らに向かって、「1日1デナリオンで雇われたのだから、自分の分を受け取って帰りなさい。」と言います。そして「最後の者にもあなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分がしたいようにするのは当たり前だ」とも言ったのです。


 約束通りとはいえ、あまりにも不公平だと揉める人々の気持ちもわかります。まして夕方5時ごろまで仕事もせず、ぶらぶらしている人をたった1時間だけ雇い、1日分の給料を払うとは、とんでもない話です。


 さらには「私は自分のものを自分がしたいようにする」とか「彼にいくら払おうが、あなたには関係がない」と言うのですから、これは大問題です。この噂が広まれば、この主人のぶどう園で朝早くから汗を流して働く人はいなくなるでしょう。


 しかし、このお話を読むとき大切なのは、これは「この世の話」ではなく、「神様がお決めになった、天の国のルール」である、と言うことです。天の国のルールだからこそ、神様は日が暮れる直前まで誰からも見向きもされなかった人を、あえてぶどう園に招かれるのです。


 すでにお気づき方も多いと思いますが、夕方5時ごろに雇われた人、とは人生の遅い時期に神様を信じ、何一つ奉仕ができなかったような人のことで、夜明けから働いた人とは長い間奉仕を続けてきた人です。


 神様は、たとえ人生の最後の残りわずかな時間であっても、ご自分の愛を知り、受け取ってくれる人が愛おしいのです。そして、長い間共に働いたあなた方は、悔い改めた人を「滑り込みだ」「ずるい」などと裁いたりせず、一緒に喜んでほしい、と思っておられるのです。


 この神様のルールは、もう一つの聖書箇所、旧約聖書のヨナ書にも、はっきりと見ることができます。主人公のヨナは、ぶどう園で朝から働いて1デナリオンもらった人々よりも、もっともっと不条理な思いをした人物でしょう。


 ヨナは、神様からニネベという大きな町に行って「あなた方は滅びる」と告げるよう命じられます。ニネベというのは当時の大国アッシリアの首都で、イスラエルの敵国ともいうべき国です。ヨナはそんな町に行くのは嫌だとばかり、役目を拒んで逃亡しようとしますが、海に放り込まれたり魚に呑み込まれたり、と散々な目に遭います。苦労の末に悔い改めたヨナはニネベに辿り着くと、神様から命じられた通り「あと40日でニネベは滅びる」と人々に告げました。


 それを聞いたニネベの王様は豪華な服を脱ぎ捨て、ボロボロの衣に着替えて国民に呼びかけます。「人も家畜も断食して神様の前に祈り、いっさいの悪いことをやめなさい。そうすれば神様が思い直してくださるかもしれない。」国民は皆、このおふれに従います。


 神様は彼らが悔い改め、悪の道を離れたことをご覧になって、なんとニネベを滅ぼす予定を取りやめられます。ニネベの人々はどんなに喜んだことでしょう。


 しかし収まらないのはヨナの方です。こんなに大変な思いをして神様の御心を告げに来たのに、神様の方が予定変更するなんてあんまりだと嘆き、こんなことなら死んだ方がマシだ、とまで言い始めます。


 そんなヨナに神様は、ニネベの人々が悔い改め、悪から離れたことがどれほど嬉しかったかしれない、と告げるのです。


 お話は神様の言葉で終わっているので、ヨナがどんな顔をして聞いていたかはわかりません。しかし自分もまた神様を裏切り、苦しみの中で悔い改め、救われ、赦された存在だった、と苦難の一つ一つを思い返すことができたなら、きっと清々しい顔で納得できたことでしょう。


 そしてここにもまた「ご自分の愛を知り、受け取ってくれる人の存在がどんなにか愛おしい」という神様の思いが込められています。そこにはヨナ自身も含まれていて、「ヨナも一緒に喜んでほしい」と言う神様のメッセージもまた、ここにあるのです。


 今日共に読みました「ぶどう園の労働者」と「ヨナ書」のエピソードは、一生懸命働く奉仕者の視点から見ると、ただただ不公平であんまりなお話かもしれません。しかし神様はそんな私たちにも目を注いでくださっています。


 私たち一人ひとり、信仰生活の長い人がいればも短い人もいる、教会から離れた経験のある人もいれば、ずっと通い続ける人もいる。そんな私たちが神様によって一つ所に集められたのには、神様にしかわからない理由があります。その理由は御国に招かれて神様の御前に立つ時、はっきりとわかることでしょう。その時まで、私たちはイエス様と共に労苦を重ねながら、神様に与えられた人生を歩んでまいりましょう。



本日は甲信地区にある5つのルーテル教会「長野教会」「松本教会」「諏訪教会」「飯田教会」「甲府教会」をzoomで結んでの礼拝でした

朝比奈牧師が前日から甲府教会に宿泊してセッティング

牧師夫人が飯田教会に残って受診する、という方法を取りました

他の教会の皆さんもそれぞれ工夫して参加できたようです


教会を預かるものとしては

直接顔と顔を合わせて祈り

一堂に介して礼拝するのが一番いいと思えますが

止むを得ない事情があるときに諦めて礼拝を休むのではなく

自宅からでも交流できるのは感謝なことです

実際、飯田教会の病気療養中の教会員も日頃から

zoomを活用して礼拝参加してくれているので
今日も慣れた様子で加わってくれました



土曜の午後、飯田教会でセッティングを終えて
一路、甲府教会へ


3時間後、甲府教会に到着して設定開始
このモニターに写っているのは甲府教会の礼拝堂です
zoom調整中のため、普段着で失礼します
礼拝ではもちろん牧師シャツに着替えました(^-^;)


飯田教会の献花(礼拝堂に捧げられた花)が
秋らしくてとても美しかったので
思わず撮影


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