2023年4月2日日曜日

「ロバの子、がんばる」(日曜日のお話の要約)

詩編118編19-25節(958) 
マタイによる福音書21章1-11節(39)


 本日の福音書は、イエス様が首都エルサレムに入られる出来事が記されています。エルサレムは城壁に囲まれていたので「エルサレム入城」と言われています。


 この出来事は4つの福音書全てに記されており、イエス様は「ロバ」に乗って行進されます。イスラエルの人々にとってロバに乗った指導者とは「世の戦を終えた平和の象徴」であり、「ロバ」に乗ったことが重要なのです。


 イエス様の時代、戦いで重要とされるのは「馬」でした。アラブ馬と呼ばれ、サラブレッドの先祖です。戦争に勝つには強くて早いアラブ馬をたくさん保有している必要がありました。それは、今で言うならジェット戦闘機をたくさん保有して他国を牽制するようなもので、戦争がずっと続くことを前提とした考え方でした。


 イスラエルの人々はかつて侵略されて国を奪われ、他国に連行されるという悲惨な歴史を2度も味わいました。しかし自分達を苦しめた大国も歴史の中で消えていくのを目の当たりにし、その出来事を聖書に書き記し、後の時代の人々に教え続けたのです。ですから大量のアラブ馬を保有し、イスラエルを支配していたローマ帝国も、必ず崩壊する時が来ると信じていたのです。


 イエス様がエルサレムに入られる箇所を読む時、しばしば旧約聖書のゼカリヤ書9章9節が重ねて語られます。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」


 イエス様がロバに乗ってエルサレムの街に入って来られた時、熱狂し、この方こそ旧約聖書の昔から待ち望まれていた救い主だと賛美し、「ホサナ」、「救ってください」と大歓声で出迎えたのです。


 この出来事は4つの福音書全てに記されいて、マルコ、ルカ、ヨハネにはイエス様がお乗りになったのが「子ろば」あるいは「ろばの子」であると記されており、マルコとルカは念を推すように「イエス様はまだ誰も乗ったことのない子ろばをほどいて連れてくるよう言われた」とまで書き添えています。


 しかし本日読みましたマタイによる福音書では、イエス様の元に連れてこられたろばは2頭いて、イエス様が乗ったのは大人のろばなのか子どものろばなのか分からない、曖昧な書き方になっています。


 マタイだけこんな書き方になったのには諸説あるようで、例えば福音書の中で一番初めに書かれたマルコ福音書を読んだ人々が、子ろばが可哀そうだと言い出して不評だったという節や、大きなロバが自分の子に「イエス様をお乗せする時は、こうして力を使って運ぶのですよ」と手本を見せたという説もあります。マタイはイエス様の評判が落ちないよう配慮して、自分が福音書を記すときには曖昧な書き方をした、とも言われています。


 とはいえ、一般的にはこの話は、非常に無茶で実現不可能だも言われます。それはロバの持って生まれた性質に関わります。ロバはざっくり言って馬の仲間ですが、馬に比べて体格が小さいだけでなく、遥かに頑固で従順さに欠け、新しい出来事を嫌い、飼い主以外の人を背中に乗せて運ぶなどあり得ないと言われています。なんとかまたがることができたとしても、子どものロバが初対面の人を乗せて運ぶなんて、ありえないようです。


 いきなり連れてこられて多くの人に囲まれ、知らない人間が乗ろうとすれば、子ろばでなくとも驚き戸惑い、パニックになるでしょう。自分に乗ろうとしている方が誰であろうと、死に物狂いで振り払おうとするでしょうし、無理矢理乗ったとしても、怯え切ったロバはテコでもそこから動かいでしょう。ところがこのロバは、棕櫚の葉を打ち振る人々に囲まれて、道に敷かれた上着の上を自分の意志で、堂々と行進しているように見えるのです。そのイメージは誇らしげですらあります。


 「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」イエス様をお乗せしたロバの子は、数百年も前に記されたゼカリヤ書の預言の言葉を初めから知っていたかのように、一歩一歩前進し歩き通します。イエス様は、ロバ本来の気質だけでなく、この子ロバの性質も理解しておられたのでしょう。イエス様が神様の力で不可能を可能にしたと言えばそれまでですが、深い愛を持って神経質なところも頑固なところも知って受け止め、声をかけ、優しく触れられるイエス様に、子ろばも心を開いたのではなかったでしょうか。


 ロバの子は、これから後、イエス様がどのような目に遭われるのか全く知りません。十字架の死と復活という神様のご計画の奥深さを、小さなろばは何も知らないのです。ただひたすら、よろめきそうな足を踏み締めて、自分の背中に乗っているこの方を目的の場所まで運ぶ、そのことだけに集中していたことでしょう。自分が平和の王をお乗せして歩いた、預言を実現した名もなき子ロバとして語り継がれることになることなど、どうでもよかったに違いありません。


 私たち一人一人は、この世においてはロバの子のようです。世の中にはもちろん、高い能力を持ったサラブレッドのような方もいらっしゃいます。ただ、たいていの人々は、自分の足りないところや欠けたところを残念に思いながら、引け目を感じたり開き直ったりしながら、どこか不満を持ちながら生涯を送るのです。


 しかし、イエス様はわざわざ私たちを見つけ出し「私を運んでおくれ」と召し出してくださいます。私たち一人一人が集中すべきことは、途中で何があってもイエス様をお乗せして、前を向いて一歩一歩進むことなのです。



皆さんの地方の桜はいかがでしょうか

こちらは満開ちょっと手前、といったところでしょうか

歩いて5分ほどのところに桜並木があり

夜間は提灯などでライトアップされています


幻想的な雰囲気で美しいのですが

油断すると花粉症の症状が出ます

桜の花粉が原因なのか

スギやヒノキの花粉が夜になっても漂っているせいなのかわかりません


今はまだコロナの影響で皆さんマスクをしているので

堂々と(?)マスクをしてそぞろ歩きです



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