2022年4月21日木曜日

主はよみがえられた(日曜日のお話の要約)

復活祭(白)(2022年4月17日)
使徒10章34-43節(233) ルカ福音書 24章1-12節(159)

 今日のお話のタイトルは「主はよみがえられた」です。これはイエス様のお墓に行った女性の弟子たちが、そこで天使から聞いた言葉です。


 彼女たちはイエス様が十字架の上で死なれた時、なすすべもありませんでした。イエス様が亡くなられた後、アリマタヤのヨセフが自分の墓に埋葬するよう手筈を整えてくれたので、その後をこっそりついて行って墓の位置を確認しました。


 彼女たちはせめてユダヤの国の習慣通り、イエス様のご遺体に良い匂いのする油を塗って差し上げようと、三日目の早朝、墓地に出かけます。ただ問題は、そこには兵隊がいるだろう、ということでした。イエス様を死刑にするよう命令した祭司たちに雇われ、番をしていたのです。彼女たちは兵隊に見つかったらどうしよう、墓を塞いだ巨大な石をどうやってどかしたら良いだろう、などと思い悩みながら、とにかく墓へやって来たのですが、そこには兵隊ではなく天使がいたのでした。


 天使は「主はよみがえられた」という喜ばしい言葉を告げましたが、彼女たちは咄嗟に信じられませんでした。けれどもイエス様は以前から「十字架にかかって死んだ後、3日目に蘇る」と弟子たちに約束された言葉を思い出し、彼女たちは恐れつつも他の弟子たちに告げるために墓から走り去ったのです。


 それにしても神様は、なぜこんなことをなさったのでしょうか。


ご自分の大切な一人子であるイエス様を傷つけ、苦しめ、命まで奪われるに任せ、その上で三日目に蘇らせる。このことにどういう意味が込められていたのでしょうか。

 神様は遠い遠い昔、人間を作られエデンの園に住まわせ幸せになるよう導かれました。しかし、人間は神様の言葉を信頼せず、勝手に墓穴を掘ってしまって、天国のように素晴らしいエデンの園から出て行かざるを得なくなりました。


 その時から人間は、どんなに優しく良い人も100パーセント完璧ではなくなり、どんな人でも心の中に憎しみや嫉妬と言ったどす黒い思いを抱くようになってしまいました。

 旧約聖書には人間がエデンの園から出てからの長い歴史が記されています。神様を信じる立派なリーダーは何度か登場しましたが、その人々も決して完璧ではなく、愚かな失敗をして家庭不和に陥ったり、果ては自分勝手な王様になって戦争が起き、たくさんの人が死んだり、不幸になったりしたことが記されています。

 そんなリーダーなら神様がバチを当てて辞めさせ、新しい人をリーダーにすれば良いと思うのですが、100パーセント正しい人間はいないので、やり直しても結局同じことになるのです。


 そこで神様は、人間にバチを当てるのではなく、自分の悪いところを直して正しく生きたいと願う人には、正しく生き直す力を与えよう、とお考えになりました。ところが、悪いことをした人ほど神様のことを怖がり、神様に近づこうとしません。「自分は死んだらどうせ地獄に行く」と考えているので、開き直ってさらに悪いことをするのです。

 しかし神様はそういう人をかわいそうに思い、救いたいと願われました。「死んだら地獄行き」ではなく、神様に救って貰えば天国に行けると気づいてもらうために、どうすれば良いか。


 そこで神様は人間がとても思い付かない、凄まじい決心をなさったのです。


 まず、独り子であるイエス様を地上にお送りになりました。クリスマスの夜、マリアとヨセフ夫婦の元にお生まれになったイエス様は、成長されるとユダヤの人々に神様の愛を伝える旅に出ました。

 イエス様はご自分で選んだ弟子たちと共に「神様はみんなを愛しておられる」とお話しされ、多くの人が信じ、神様の愛に立ち返りましたが、国のリーダーたち、祭司やファリサイ人と言った人々は自分たちと考え方が違うイエス様が邪魔になり、論争を挑んではやり込められ、ついにイエス様を十字架にかけて殺してしまおうと考えました。


 さらにひどいことに、イエス様の弟子の中からも裏切り者が現れ、人気のない場所の暗闇の中でもイエス様を間違いなく逮捕できるよう、手引きをしたのです。

 こうしてイエス様が捉えられると、イエス様のお話を聞いて感動したはずの人々までもが「イエスを死刑にしろ、十字架につけろ」と叫びました。イエス様は何一つ罪を犯していないのに、この世の一番の最悪の形で十字架に掛かり、死なれたのです。


 ところが、これら全ては神様のご計画でした。イエス様は、最悪に不幸で、どうしようもなく悲しくて、完全に神様に見放されたように見えました。しかしどんな時も神様はちゃんと見てくださっているし愛してくださっている。最後には救ってくださる。それを人々に伝えるために、厳しい神様のご計画を耐えられたのです。

 ここまで壮絶な試練に最後まで耐えられたのは、ただ、神様とイエス様が私たちを愛しておられたからなのです。


 天使がお墓で言った「主はよみがえられた」という言葉は、今風に言い直すならば「イエス様は、死んだら終わりじゃないことをみんなに教えるために蘇ったのだ、イエス様は死に打ち勝ったのだ」という意味と捉えれば良いかと思います。

 キリスト教会は、天使の言った「主は私たちのために蘇ってくださった、あなたも蘇ったものの一人なんだ」というメッセージを伝える役目があります。どんな人にも注がれている神様の愛に気づいてほしいと心から願っているのです。

 私たちは、復活して今も生きて働いてくださるイエス様を信じ続けましょう。世界がどれほど殺伐としたものとなっても、イエス様の愛を、信仰の灯として輝かし続けましょう。




17日はイースターでしたが

飯田市での新型コロナ陽性者の数が減らず

幼稚園の先生方はzoom参加

教会員もできるだけzoomで

こども聖歌隊の賛美も中止

礼拝後の全員参加のたまご探しも中止


それだけではあんまりなので

今回練習に参加してくれたこども聖歌隊の5人には

いつもの9時30分に来てもらい

親子、きょうだいのチームに分かれて

順番にたまご探しを行いました


たまごもゆで卵ではなく

プラスチックの卵型カプセルに

キャンディを入れて使用しました

(本来ならプラスチックは使いたくないのですが)


S家母娘チーム

なかよしM姉妹チーム

こちらもなかよしK姉妹チーム


感謝なことに、こんな変則的な礼拝でも
洗礼式がありました
新しく教会の家族に加えられたS.Mさん
これからの信仰の歩みに
神様の祝福が豊かにありますように!


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