2021年12月6日月曜日

洗礼者ヨハネ(日曜日のお話の要約)

聖餐式・待降節第1主日礼拝(2021年12月5日)

マラキ書3章1〜4節 ルカによる福音書3章1〜6節


 本日のルカによる福音書にはさまざまな人物名が記されています。ここに挙げられているティベリウスは初代ローマ皇帝アウグスティヌスの養子で、第2代目皇帝に即位した人物です。その彼がローマを統治をして15年目のことだった、と伝えます。

 使徒信条に登場する「ポンティオ・ピラト」の名もあります。ローマ帝国から派遣され、ユダヤの総督として着任した役人で、イエス様の十字架刑の決定を最終的に下した人物です。


 次に、ユダヤの領主ヘロデ。この人の父親はイエス様が赤ん坊だった時、暗殺しようとしたヘロデ大王です。領主ヘロデはイエス様の死刑に深く関わりました。ですから親子二代にわたっての敵役です。


 さらには「アンナスとカイアファが大祭司であった時」。大祭司とは出エジプト記に登場するモーセの兄、アロンの家系の者が世襲で継承することになってい流、政治と宗教のトップでした。ところが、ローマの力が強まるにつれ、ユダヤ地方の統治者もしくはローマから送られたユダヤ総督が大祭司を任命するようになり、大祭司の罷免と任命が頻繁に行われたようです。ですから神様以外は何者も恐れないはずの大祭司でありながら、ローマの顔色を伺う管理職のようになってしまいました。

 そんな時代の大祭司だった「アンナス」と「カイアファ」という二人は、娘婿と義理の父、という関係です。アンナスが大祭司を退いたあと、カイアファがローマ総督の任命でユダヤ教大祭司となります。


 ユダヤ人がイエス様を担ぎ上げて騒動を起こすとローマに攻め込まれると思ったカイアファは、議会の席で「1人の男(イエス)のせいで国が滅びるなどあってはならない」と宣言します。この言葉がイエス様を排除する方へ人々を導いたのです。

 つまり、ここに連なる短い人物紹介は、イエス様のご生涯に大きく関わる「敵役」の紹介でもあるわけです。


 そして、そのような人物達に続いて、「ザカリアの子ヨハネ」の名前が紹介されます。洗礼者ヨハネが「荒れ野で現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」という出来事が起こったのです。

 洗礼者ヨハネがこの時人々に呼びかけた「悔い改め」というのは、単なる反省ではありません。「自分は神様を見失っていたんだ」と気づき、自分を惑わせていたものから目を切って、神様の方に向き直るのです。そして神様に導かれ神様と共に人生を歩む決心をする。これが悔い改めです。自分の心を神様の方にぐるっと向き直させる、という意味で「回心」という言葉も使われています。


 ユダヤの民衆は政治の堕落やローマの支配を「仕方ない」と諦めている人も多くいましたが、幼い頃から聖書を通して教育を受けてきた人々の中には、本当に神様を恐れ敬い、このままで良いはずがない、と考える人もたくさんいたのです。そういった人々の心に、ヨハネの言葉「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という教えは深く突き刺さりました。

 彼がここで語った言葉はイザヤ書40章から引用でした。(聖書学の世界ではイザヤ書の1章から39章は第一イザヤと呼ばれ、紀元前8世紀ごろに記されたと言われています。40章以降は第二イザヤと呼ばれ、紀元前500年代に記されたという説が有力です)


 紀元前500年代半ば、ユダヤの国はバビロニア帝国という巨大な国との戦いに敗れ、主だった人々はバビロニアに連れて行かれます。この時、エルサレム神殿は崩壊し、ダビデ王朝は滅亡しました。多くの人々が「自分の国はこれで終わりだ」と思い、深い嘆きと諦めの気持ちを抱いたことでしょう。

 その民に向けて、イザヤ(第二)は慰めの言葉を語ったのです。「我々はいずれ先祖の土地に帰ることができる、神様は我々の悔い改めの心を受け入れてくださった。だから、イスラエルの人々は卑屈になっていないで、神様に愛されているという誇りを取り戻しなさい」

 イザヤの預言は捕囚の民となったユダヤ人の心に平安を取り戻させました。神様の御心が一人一人の心に流れ込んできた時、すっと通ってくるように、心の中に通りの良い道を作り上げる努力をしたのです。


 洗礼者ヨハネがイザヤの時代から長い時を超えて「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫んだ時、人々は、自分たちの先祖がいかに勇敢にボロボロだった国を立て直したか、その信仰深さを思い出したのです。

 イスラエル国はもともと神に愛されている国なのだ。大祭司がダメだからとか、ローマが怖いからとか、ピラトが睨みを効かせているからとか、それらは言い訳にすぎない。「どうせダメだ」という心を捨て去って、一人一人が神様に向き直ることから始めよう。そう決心した人々は、ヨハネの元に集まりました。そして洗礼を受けるという道を選択します。


 ただ、ヨハネの役割はここまででした。残念ですがすが、ヨハネの言葉を受け入れ、神様に向き直るというのは、言ってみれば準備体操のようなものです。ヨハネは領主ヘロデに死刑にされるという劇的な最期で福音書から退場します。

 そしてそのヨハネの後をイエス様が引き継いだのです。悔い改めた一人一人をまことの神様と引き合わせ、天の国へと導いていくお役目は神様の御子であるイエス様でなければ果たせなかったからです。


 いくら強い決心を抱いて洗礼を受けても、日常の中で導いてくれる方がいなければその決心は長くは続きません。ヨハネによって自分のダメっぷりや心のうちの罪に気付かされた私たちは悔い改めに導かれます。そして救いを求めた時、イエス様の十字架の贖いによって罪の赦しを与えられるのです。そして日々を聖霊なる神に導かれてあゆみ、やがて神の国に帰っていく。ここに神様の救いが完成するのです。

 クリスマスを前にして、洗礼者ヨハネの言葉を学ぶ意味はここにあります。イエス様のお誕生、クリスマスを迎える前に、心の準備をしてイエス様をお迎えしなさいよ、とヨハネ語りかけてくれるのです。

 私たちは、やがてイエス様が来られるその時まで、イエス様から与えられた罪の赦しを大切に生きていくのです。死の時がくれば神の国へと導かれることを確信して毎日を過ごして参りましょう。たとえ傷だらけの人生だったとしても、キリストによって神の国で新しく命をいただくのです。 



先週の土曜日は土曜学校が開かれました
いつもですと土曜保育に来ている園児は礼拝とお誕生会が終わると
保育の部屋に戻りますが
イースターとクリスマスだけは
年中さんと年長さんも小学生と一緒に
クラフトを楽しみます
先生の準備は倍になりますが
出来上がった作品を満足気に持ち帰る姿は
なかなか良いものです

作業風景と作品をいくつかご紹介します

紙皿に木工ボンドを塗り
カラーの水苔を貼ります
次に松ぼっくりとフェルトボールを貼っていきます

仕上げに、真ん中にLEDキャンドルを置いて出来上がり
この作品は年中のYちゃんです
上手にできました

Sちゃんも年中さん
楽しい作品ができました

いつもやんちゃなMちゃん
トレーナーとお揃いの黄色の紙皿をチョイス

2年生のKちゃん、最初は「グルーガン恐怖症!」なんて言っていたのに
いつの間にか使いこなしています!

見本にかなり忠実なMちゃん

HちゃんとYちゃん
Yちゃんはくまさんの顔を作りました

これはなかなか個性的!
小学校1年生のNくんの作品



小学生のリースは最初にワイヤーで組んで
カッティングボードにグルーガンで貼りました
自由な形を楽しめたようです

近くの里山を回って
松ぼっくりを紙袋いっぱいに集めてきてくれた
K先生、本当にありがとう!

次回の土曜学校は1月8日(第二週)
コロナの感染が広がらず
楽しく集まれることを祈ります

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