2021年1月4日月曜日

学者の心とヘロデの心(日曜日のお話の要約)

 聖餐式・主の顕現礼拝(2021年1月3日)
イザヤ60章1-6節 エフェソ3章1-12節 マタイ福音書2章1-12節


 本日顕現礼拝はイエス様がこの世に誕生されたことをハッキリと心に刻むための礼拝です。この日は、東の方から来た占星術の学者達が幼子イエス様を訪ね、探し出す箇所が読まれます。欧米などでクリスマスの飾りを外すのもこのです。


 ところで、旧約聖書では、占いは忌むべきこととされています。エレミヤ書27章9節では「あなたたちは、預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちに聞き従ってはならない。」と書かれています。これはエレミヤが治世者に向かって、偽預言者や、そのほかの情報に振り回されないよう語る言葉です。

 旧約聖書で占いを禁じている理由ははっきりしています。「世の中は偽りの言葉が満ちていて、その中には悪霊がお前を滅ぼすために語った言葉がある。それらに振り回されるのはやめなさい。ただ神様の言葉のみがあなたを正しく導く」と教えているのです。

 旧約聖書は近隣諸国での知識層に広く読まれていましたから、異国の占星術師であった彼らもその内容を知っていたはずです。輝く星が現れた時、イザヤ書の記述に当てはめて理解し、その星の示すユダヤの国目指して旅することを決意したのでしょう。これは星占いに頼る人々肯定する記述ではありません。時代を考えると、彼らは怪しげな魔術師というより、天文学者であったとも理解できます。


 そのころのユダヤの国はイスラエルは強大なローマ帝国の属国の一つとなっていましたが、ローマから統治を任されたヘロデ大王は政治手腕を発揮して、ローマとの関係も良好に保っていました。ヘロデ大王はエドム人と呼ばれる混血の種族だったため、純潔を重んじるユダヤ社会では軽視されていました。そこで王位に就いてからはユダヤ人たちの人気取りのためにエルサレム神殿を美しく豪華に改修したり、都市を整備したりしました。しかし人格的には問題があり、猜疑心が強く、身内を含む多くの人間を殺害したことが当時の歴史の書に記録されています。

 エルサレムまで旅してきた学者たちはもちろん、ヘロデの恐ろしさを聞き知っていましたから、直接王宮に行って「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこでしょう」と尋ねはしなかったでしょう。しかし彼らが来たことはすぐにヘロデの耳に入りました。

 ヘロデは「新しいユダヤ人の王」の噂を聞いて非常に恐れました。そこで律法学者や祭司長を集め、ベツレヘムの町に指導者が現れるという預言を見つけさせまると占星術の学者達をひそかに呼びよせ、彼らに聖書から得た情報を与えます。学者達をあえて泳がせ、自分に報告させ、新しい王を亡き者にしようと企んだのです。ヘロデの心は邪な思いに満ちていました。

 一方、東の国の学者たちが思い描く「新しいユダヤ人の王」はヘロデ大王とは真逆のイメージでした。その王は、愛に満ちていて、関わった全てのものに祝福を与え、心迷う人々を救いに導き出し、平安を与えてくださる方と信じていたのです。

 東の国の学者たちは異邦人ですから、旧約聖書に記されたメシアを信仰の対象とは考えていませんでした。初めのうちは、素晴らしい政治家、完璧な王様が登場した、と考えていただけだったかもしれません。

 ですから、星に導かれて到着した家の中には、王者の風格のある立派な青年がいるに違いないと思っていたことでしょう。しかし学者達がそこで見たのは母のそばにいる幼子でした。「なんだ、平凡な赤ん坊ではないか」と拍子抜けしてもおかしくないところです。しかし、彼らは喜びに満たされ、全く躊躇することなくイエス様の前に跪き、宝の箱を開けて、持てるものをみな捧げ、礼拝しました。ここには、学者たちが信仰によって、そこにいる幼子イエス様がメシアであると知ったことがはっきりと記されているのです。

 彼らの捧げた宝物は何かの象徴だろうと様々に解釈されてきました。その中で興味を引くのは、この三つの宝は学者たちが占星術に使う商売道具だった、という説です。だとすれば、彼らは自分たちの生活の手段である品物をイエス様に捧げてしまった、ということになります。

 いずれにしても彼らは自分が最も大事にしてきたものをイエス様にお捧げしたのでしょう。今までは「それがなければ生きていけない」と思っていたものを、あえて救い主・キリストに捧げ、イエス様こそ私の宝と信じて生きていく、学者達の潔さは、同じ信仰を持つ私たちに大切な心構えを教えてくれます。


 私たちの心の中では、ヘロデ大王のような自己中心的な思いと、学者たちの心に生まれた純粋な信仰が常に争っています。自分のダメっぷりに悲しんだり、どうせ私は、と開き直ろうとしたりすることも多いものです。

 しかしそのような心をイエス様はご存知の上で、悔い改めへと導き、手を差し伸べてくださいます。私たちはそのような方を王とし、何物にも代えられない宝として今年も生きていくのです。




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