2017年7月7日金曜日

「主のまなざしに生かされた人」(マタイによる福音書第9章9節~13節)

マタイによる福音書第99-13節、201772日(聖霊降臨際後第4主日礼拝―緑―)、ホセア書第515-66節、ローマの信徒への手紙第56-11節、讃美唱119/7(詩編第11957-64節)

説教「主のまなざしに生かされた人」(マタイによる福音書第99節~13節)

 聖霊降臨後の第4の主の日を迎えました。今日は、マタイの召命の記事が与えられています。これは、また、私どもの召命の記事でもあると言えるのではないでしょうか。
 この並行個所を見ますと、そこで、召され、弟子として呼び出された徴税人の名は、レビとなっています。これは、同一人物なのか、同一人物の二つの呼び名であったのか、別人なのか、よく分かりません。しかし、マタイ福音書という福音書の名は、この徴税人であったマタイから来ており、12弟子の中にも「徴税人マタイ」として記されています。
 他の記事からは、マタイという人がどういう人であったかは、定かではありませんが、この福音書につながる人物が、今日出てきます、主イエスによって呼び出された徴税人であったとすれば、この日、主イエスによって、目を留められ、その力によって12弟子に選ばれ、この福音書が書き記されるうえで、大きな出発点となったと言えるのではないでしょうか。
 特に「教会のための福音書」といえるこのマタイ福音書が、今日の出来事によって、成立することになったとすれば、マタイという人は、「主のまなざしに生かされた人」ということができるのではないでしょうか。
 そして、それは、私たちと関係にない12弟子という特別な人の召命というのではなくて、私どもが洗礼を受け、主イエスの弟子とされたことの意味に通じる出来事と考えることができます。今日の福音について、しばらくご一緒に考えたいと思います。
 主は、カファルナウムで、奇跡のわざを行い、そして、今日の個所で、通りがかりに、この徴税人マタイが、収税所に向かって座っているのをご覧になるのであります。それは、罪の真っただ中で、その仕事に邁進している姿でありました。そこに座り込んで、自分の生涯はもう真っ暗闇だと思い込んでいたかもしれない。否、それすら考えるいとまもなかったのかもしれない。
 しかし、主イエスは、それを一目で見抜かれ、お語りになるのであります。私に従ってくるようにと、ただ一言であります。ところが、それを聞いて、マタイは起き上がり、主イエスに従ったと記されているのであります。カファルナウムで数々の癒しや奇跡も行い、主イエスのうわさはすでに広まっていたかもしれません。しかし、その主が、自分を招かれた時、マタイは、座っていた
その現場から、従って出ていくのであります。そして、自分の召命それ自体の記事はただそれだけしか残していないのであります。しかし、主のこの呼び出しの一言が、マタイの生涯を変えたのみならず、私どもに「マタイ福音書」という宝が与えられることになったとすら、言えるのであります。
 そして、次に記されていることは、驚くべきことであります。「そして、成ったことには、その家に、彼は、横になっており、徴税人たちや罪人たちが、かのイエスと彼の弟子たちと共に横になっていた」。
 この文は、マタイの家でのことともとれるのですが、むしろ、主イエスの家で考えるべきでありましょう。ユダヤ人たちにとって、この上なく大事な食事の交わりの席に、異邦人たちと交わり、汚れた、卑しむべきものとして軽蔑されていた徴税人たち、あるいは遊女が挙げられるような罪人とされていた者たちが、主イエスによって招かれているのであります。この食卓の交わりこそは、私たちが今日このあと守ります聖餐を表しているということもできましょう。
 ところが、どこからやって来ていたのか、これを見ていたファリサイ派の者たちは呟くのであります。「あなた方の先生は、なぜ罪人たちと食事を共にするのか」と。
 彼らは、主イエスを十字架に追いやる敵対者となりますが、律法を守り、
身を罪から清めて生活しようとしていた、極めてまじめな者たちでした。しかし、主イエスが、罪人たちと交わるのをいぶかるしかなかったのであります。これを耳にした主イエスは、弟子たちを代弁して答えられます。いや、これは、主イエスにしか答えることにできない種類の問いでありました。「健康なものには医者はいらない、いるのは、病人である」とおそらく当時の格言のようなものから、主はお答えになる。そして、あなた方は行って、「神が欲されるのは、憐れみであって、いけにえではない」とのホセア書の言葉が何を意味するのか、学べと言われます。そして、なぜなら、なぜなら、私が来たのは、正しい者たちを呼ぶためではなく、罪人たちを呼ぶためだからであるとお答えになっておられるのであります。

 主イエスは、罪人たちを、自らの食卓の交わりへと招いてくださいました。それは、律法学者やファリサイ派に勝る天の国の義へと、私たちを招いてくださったのであります。そして、御自分の命を惜しまずに、み国での宴席へと、十字架の死とご復活をかけて、この日、マタイたちを招待してくださったのであります。自分の義と行いによって、それができない罪人たちを裁くファリサイ派の者たちに対しても、主は、悔い改めるようにと招いておられます。それは、私どもも陥りやすい律法主義の生き方であります。私どもは、マタイと共に悔い改めへと召し出された洗礼の時を思い起こしつつ、「主のまなざしに生かされ」つつ、残された生涯を、主のみ業に励みたいと思います。アー                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

0 件のコメント:

コメントを投稿