2017年2月21日火曜日

「あなたの敵を愛しなさい」(マタイによる福音書第5章38節~48節)

マタイによる福音書第538-48節、2017219日(日)、顕現節第7主日礼拝、(典礼色―緑―)、レビ記第1917-18節、コリントの信徒への手紙一第310-23節、讃美唱103(詩編第1031-13節)

説教「あなたの敵を愛しなさい」(マタイによる福音書第538節~48節)

敵を愛するということは難しいことですね、私は自分に、ひどいことをした、その人の言葉、態度を赦すことはできない、一生忘れずにそれに対して必ず復讐したいと思っていると偽らざる告白をしてくれた人がいます。
しかし、それは人事でしょうか。主イエスは、人を赦すこと、復讐をしないということがどれだけ難しいことかを、だれよりもよくご存知のお方ではないでしょうか。
今日の福音は、6つの命題に対する5番目と6番目の反対命題と呼ばれるものです。目には目を、歯に歯をとあなた方は言われている。しかし、私は言う、悪には逆らわないようにと。そして、右の頬を打たれたなら、あなたの左の頬をも向けよと言われ、1マイル強いられるなら、2マイル同行してやるようにと、暴力に対して、それに耐えるように、それどころかそれを、積極的に受け止めていくふるまいを主は、私どもにお求めになる。
これは、私どもキリスト者に、神の国、天の国に入るために、霊的にみ言葉との関係で言われているのであります。それは、この世の秩序、この世で罰すべき身分や権威とは別の領域の事柄であります。
そして、主は、暴力によるのではなくても、あるいは法によって、下着を求める者には上着をも与え、あなたに要求する者には与え、金を借りようとする者を拒んではならないとも言っておられます。福音を知らされているキリスト者として、私どもはそのようにして、悪に対して逆らうことはせず、隣人に仕える用意がなければなりません。そして、復讐することは、神の専権であり、神がなさることであります。それを、私どもは信じるべきであり、実際、神はそうなさっておられるのは、聖書が証言している通りであります。
そして、最後の命題は、あなた方は、あなたの隣人を愛し、敵を憎めと言われていることを聞いてきた。しかし、私は言っておくが、あなた方の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、という主イエスのそれに対するアンチテーゼのお言葉であります。
なぜ、敵を愛し、私どもを迫害する者のために祈らねばならないのかというと、それは、あなた方の天の父の子とならせていただくためであると主は言われます。
そしてさらに、それはなぜかというと、天の父は、悪人にも善人にも、正しい人にも正しくない人にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださるお方だからだと主イエスは言われます。
太陽がなければ、人も世界も滅んでしまいます。太陽は暑さを与え、生物を育て、地球を守っています。しかし、暑さや光だけでも、この世界は維持できません。雨が地上に降って、水気と湿気を与え、植物は成長し、人間も生活していくことができます。
この太陽と雨を、父なる神は、悪人にも、善人にも等しくお与えになっていてくださる。私どもは、この言葉を聞くとき、自分は悪人のほうではないと、普通考えますが、私どもは罪人であって、神に逆らう悪人に属していたのではないでしょうか。しかし、そのような私どもに、主は同じように良きものを与え続けておられるのであります。
そのような私どもが、キリスト者となって、天の父の子となるために、私どもの敵を愛し、しかも、自分を憎む者のために祝福を祈り、神がその者たちをよくしてくださるようにととりなしを求めるようにさせていただくのであります。
自分に良くしてくれる者に良くするという自分の損になる生き方はしないという私どもの自然な、本性に従った生き方ではなく、損をする生き方をあえて自由に選び取っていくことができるようにされるのであります。
そのようなファリサイ派や、ルターの時代の教皇主義者らの義にまさる生き方を、主イエスは、私どもにお求めになっておられます。
そして、そのような生き方をした多くの有名、無名のキリスト者の先輩たちを、私どもは知っております。たとえば、これらの主イエスの言葉に従って、矯正施設、罪を犯した青少年たちを社会復帰させるための北海道家庭学校のために生涯をささげた留岡幸助や、後継者谷冒恒のような方々の働きを思い起こします。
主は、復讐せず、敵を愛し、迫害する者たちのために祈りなさいとお命じになり、最後に、それゆえ、天の父が完全であられるようにあなた方も、完全になりなさい、あるいは完全になると約束なさいます。
私たちは、罪びとであるという点では完全になることはできません。しかし、主イエスの教えが完全であり、それに対して私たちが従う生活をしていくことにおいては、私たちも完全なのであります。神は聖であられ、私どもも聖となるであろう、聖とならねばならないとレビ記にあるように、まったき者とされているのであります。パウロも、悪に対しては子供となり、判断力については大人となりなさい、完全な者となりなさいと奨めているとおりであります。
神の教えに関する限りは、私どもは譲ってはならない。しかし、助けを必要としている隣人、敵に対しては、とことん愛を行っていくのです。アーメン。


 


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

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