2026年3月1日日曜日

「ニコデモとイエス」(日曜日のお話の要約)

四旬節第2主日礼拝(2026年3月1日(日)(紫))

創世記 12章1-4a(旧15) ローマ4章1-5a 3-17節(新278)

ヨハネによる福音書 3章1―17節(新167)


 本日の福音書には、ニコデモというファリサイ人がイエス様を訪れた時の対話が記されています。ここでイエス様が語られた御言葉「神はその独り子を賜ったほどに世を愛された。それは一人子を信じるものが永遠の命を得る為である。」は「小聖書」と呼ばれ、聖書全体に記された神様の愛を端的に表しています。


 ヨハネ福音書が書かれたのは1世紀の終わり頃で、キリスト教はすでにユダヤ教から独立して一つの宗教へと発展し、地中海沿岸を中心に、ローマ帝国の主要都市へと広がっていました。そこに住む人々の中にはギリシャ哲学を学ぶ知識層も多かったようです。しかしその知識が仇となって、せっかくキリスト教と出会っても素直に受け入れられない人もいました。ヨハネはそういった人々と哲学的な論争を戦わせながら宣教していく必要がありました。ですから福音書も哲学的表現が多くなったと思われます。


 ギリシャ哲学にはプラトンの説いた「霊魂不滅」という思想があり、魂は肉体の死後、肉体を離れて永遠に生き続けると考えました。もしそうなら、神様の愛や招きがなくても、人間の魂は不滅ということになります。ですから、この思想に影響を受けると、イエス様が十字架にかかられたことへの感謝や、神様が罪人さえ天国に招いて下さることの尊さなどが全く見えなくなってしまうのです。ヨハネが福音書を書いた時代、この思想がキリスト教の周りにあったことを前提に考えると、ヨハネとニコデモの会話から少し違う光景が見えてきます。


 ユダヤ教に縛られてイエス様の教えを素直に理解することができないニコデモと、ギリシア哲学に囚われてイエス様の教えを受け止めようとしない人々とを重ね、哲学的な言い回しを用いてこの場面を描いた、とも考えられるのです。


 ニコデモは長年、イスラエルの教師として、また議員として、人々を教え、導いてきました。熱心に律法を学び、律法に忠実に生活をしてきたと自負していました。しかし自分は人々を正しく神様の元に導くことができたのだろうか、そう思うと不安と焦りが生じ、いてもたってもいられなくなるのです。


 そんな時ニコデモは、イエス様が神殿から商人を追い出し「私の父の家を商売の家としてはならない」と宣言された姿を見ました。また、貧しきものや病の者に癒しをあたえるしるしを目の当りにしました。そして「神様に従うとはこういうことなのだ」と確信し、残り少ない自分の人生を、神様の御用の為に正しく用いたい、今の自分でも何かできるだろうか、とイエス様から教えを乞う為に、夜の闇に紛れてイエス様を訪ねたのです。ただ、ニコデモは、イエス様から難しいことを要求されたなら、自分のこれまでの経験や知識が役に立つ、と考えていたようです。


 しかしイエス様は、ニコデモの心を見抜いておられました。この世におけるさまざまな知識や経験が、神の国や天の国を本当に知るために邪魔になることをイエス様は知っておられたのです。だからこそ、今まで積み重ねたものを捨て、幼子のようなまっさらな心になってもう一度やり直しなさい、とおっしゃったのです。


 ところがニコデモは「新たに生まれなければならない」というイエス様の言葉に反発します。今までの自分を否定されたと思ったのでしょう。「もう一度母の胎内に入って生まれるなんてできるわけないじゃないですか」と反論したのです。


 イエス様がニコデモに伝えたかったことは、聖霊なる神であれば、あなたを生きながら作り替えて下さる、あなたが老人であろうと若者であろうと関係ない。私の言葉と神の力を信じなさい。そう仰りたかったのです。


 では、神様を信じる上で、生まれなおさなければならない、言い換えれば、捨て去るべきニコデモの欠点とは、なんだったのでしょう。


 ニコデモは、イスラエルの優れた教師でしたから、優秀な人を伸ばすことに喜びを感じていたことでしょう。しかしキリスト教の宣教は、将来性のありそうな人ばかりを教会に歓迎するようなことはしません。イエス様の12弟子たちもインテリばかりではなく、漁師や徴税人と言った人々もいました。学があるなしではなく、育ちがいいか悪いかでもなく、ただ、風が気ままに吹くように、神様はイエス様のもとに人々を吹き集められたのです。


 「風は思いのままに吹く」という御言葉には、人間の側で勝手に「この人は神様を信じるだろう」「この人は神様のお眼鏡に敵わないだろう」「この人は立派な信仰者になるに違いない」などと決められない。それは、神様だけが知っておられる、とはっきり言われたのです。


 時は流れて、イエス様が十字架に掛かった後、アリマタヤのヨセフという人物がローマ側に願い出て、イエス様の遺体を引き取り、墓に葬ったことが4つの福音書全てに記されています。ただヨハネ福音書だけは、ニコデモもアリマタヤのヨセフと共にイエス様を葬った、と記録されています。12弟子さえ逃げ去ってしまった後のことです。二人ともイエス様が復活するとは信じていなかったでしょう。ただイエス様に敬意を払うために葬りの儀式を行ったのです。


 3日後にその墓でイエス様が復活したことを知った時、ニコデモの思いは大きく変化したはずです。伝説ですが、ニコデモはその後、教会形成の為に尽力し、いくつものキリスト教会を作ったと言われています。キリスト教会の古い記録の中にはニコデモという名前が何度も出てくるそうです。それはニコデモがイエス様を信じ「新しく生まれた」記録のような気がしてなりません。


 今の時代、私たちを取り巻くのはギリシア哲学ではなく、自分に都合の良い生き方を提唱する人々です。この思想を持つ人々はキリスト教の考えに関心を持とうとしません。今の時代においては、イエス様を信じ、人に優劣をつけず、愛を持って信仰の成長を共に喜ぶことは困難だと言えます。しかしイエス様を信じる私たち、イエス様に集められた私たちは、過去に縛られず、キリストと同じように苦難を覚え、小さなことから成し遂げてゆく。そこに救いの道が今でも変わらずあるのです。


ミケランジェロの未完成の彫刻『フィレンツェのピエタ』
 十字架から降ろされたイエス・キリストのお体を
母マリア、マグダラのマリア、ニコデモが支えています
ニコデモの顔はミケランジェロ自身の
自画像と言われていますが
1555年頃に制作を放棄したそうです